彼らが光であるならば

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NEW WORLD 新日本プロレスワールド公式ブック

『NEW WORLD 新日本プロレスワールド公式ブック』

著者
新潮社 [編集]
出版社
新潮社
ISBN
9784107902429
発売日
2016/06/08
価格
1,018円(税込)

書籍情報:openBD

彼らが光であるならば

[レビュアー] 三田佐代子(プロレスキャスター)

 プロレスラーは6メートル四方のリングの上で、自らの身体と心をさらけ出して日々戦っている。そんなプロレスラーがなんと、小説を書いたという。普段はその身体をめいっぱい使って己の生き様を表現している彼らが、今度は文字で、言葉で、果たして何を私たちに伝えてくれるというのだろうか?

『NEW WORLD』というムックに掲載されている二つの短編小説、棚橋弘至の「全力兄弟」とKUSHIDAの「東京ドーム」を読んで私の心にまず湧き上がったのは、「これは間違いなくプロレスラーにしか書けない物語だ」という感慨だった。棚橋弘至もKUSHIDAも、業界最大手の新日本プロレス所属の現役のトッププロレスラーである。常に光のあたるリングのど真ん中にいる彼らが全く別々に小説を書いたというのに、奇しくも互いの題材に共通していたのは「プロレスラーにたどり着かなかった男たち」の話だったのだ。

 棚橋弘至は、日本のプロレス界全体の大エースである。この10年、その丁寧な試合運びと明るいキャラクター、徹底したファンサービスをひたすらやり続けて、一度地に落ちたこの国のプロレスに新たなブームを呼び起こした最大の功労者だ。そんな棚橋が、プロレスラーになった兄と、ならなかった弟が、それぞれ交互に一人称で語る、という手法で「全力兄弟」を書き上げた。兄よりも身体が大きく、野球部のエースだった弟と、目立ちたがり屋でやりたいことをとことんやり続ける兄。一緒に深夜のプロレス中継を夢中で見ていた兄弟は、いつの間にか別々の道を歩むことになる。新日本プロレスのスター選手になった兄は、「プロレスラーになるという未来へ導いてくれたのは、弟だ」と自覚しながら、「でも僕は――あれからお前の未来を奪い続けてるんじゃないか?」と心の中で弟に問いかけながら道場で重いバーベルを挙げ続けている。故郷に残る弟はスナックのママや会社の同僚に兄のことを尋ねられるのが嫌でたまらない。兄は家を守り続ける弟に後ろめたさを抱きつつ、同時に自分が自分らしく生きることで多くのことを犠牲にしていることにも気づいている。「なぜ僕は、何かを犠牲にしていると分かっていても、プロレスを続けているのだろうか」。兄は充実した日々の中で問い続ける。

 一方KUSHIDAが書いた「東京ドーム」には、新日本プロレスに入門したものの怪我でデビューすることがかなわず、レフェリーとしてプロレスに関わり続ける凪山という男が登場する。KUSHIDA本人はメキシコやアメリカでプロレスラーとして修行した後に新日本プロレスに入団し、独創性のある関節技ときびきびした試合運びでジュニアヘビー級という軽量級を牽引しているプロレスラーだ。小説の中で1月4日の東京ドーム大会、プロレスラーならば誰もが憧れる大舞台のメインイベントでレフェリーとしてリングに向かう凪山のことを、観客は誰も目に留めない。決して世に公開されることのないツイッターの下書きに、凪山は「本当なら、ここに俺がいたはずなのに……」とつぶやき続ける。そしてリングトラックから降りた瞬間に、奇跡が訪れるのだ。

 私が2人の小説を読んで震撼したのは、リングに上がるのは選ばれた人間だけだ、というごく当たり前の事実そのものではなく、その事実を常に「選ばれた側」の人間が痛みとして胸に抱き続けている、ということだった。ここにいたのはもしかしたら自分ではない誰かだったかもしれない。彼らが光であるならば、その光にたどり着かなかった圧倒的多数は影だ。なぜ光である彼らが影に思いを馳せることが出来るのか。それは恐らく、プロレスそのものの根源、プロレス最大の美学が、「相手の攻撃を逃げることなく受け止める」ことにあるからなのだと思う。プロレスは自分の得意技を披露して、勝利に向かう最短距離を競う競技ではない。相手の全てを受け止め、理解しようと努め、その上で凌駕する。棚橋とKUSHIDAが原稿用紙と向かい合った時に、そこに現れた対戦相手ならぬ題材が共に「プロレスラーにたどり着かなかった男たち」の物語だったのは偶然ではない。棚橋やKUSHIDAの周囲にはたくさんの「たどり着かなかった男たち」がいて、そんな彼らの思いや願いを常に感じながら、プロレスラーはリングに上がっているのだ。対戦相手からも、自分が犠牲にしてきた何かからも、過去からも逃げることなくそれを受け止めるプロレスラーだから、書けた小説だった。

 思うようにならない世の中で生き続ける私たちはやり場のない拳をレスラーに託すけれど、レスラーはレスラーで、そんな私たちの思いと、ここにたどり着かなかった者たちの思いを全部背負って、光輝くリングの真ん中に立っている。多分に私小説的な意味合いを持つ「全力兄弟」を読めば、実際の棚橋弘至がなぜあんなに涙もろいのか、家族を愛しているのか、この仕事に誇りを抱いているのかがわかるだろう。KUSHIDAの「東京ドーム」を読めば、レスラーのみならず興行に携わっている人たちがいかにこの仕事に愛情を持って、プロレスという世界を作り出しているかに触れることが出来る。

 棚橋とKUSHIDAの小説には彼らがプロレスで大切だと思っているものが詰まっている。「全力兄弟」の兄が言う通り、雨が降っていても雲の上は晴れていて、幸せな人とそうでない人は同時に存在している。でも、プロレスに触れている瞬間だけは自分も光の中にいるんじゃないかと思うことが出来るからこそ、私たちはプロレスを見続けるのだ。

新潮社 波
2016年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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