自画像の思想史 木下長宏 著

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自画像の思想史 = The history of self-portrait

『自画像の思想史 = The history of self-portrait』

著者
木下, 長宏, 1940-
出版社
五柳書院
ISBN
9784901646291
価格
5,280円(税込)

書籍情報:openBD

自画像の思想史 木下長宏 著

[レビュアー] 宮下規久朗(神戸大教授)

◆古今の500点を大胆に分類

 六百ページにおよぶ労作である。古今東西の自画像について、自己と世界との関わりという思想史の観点から論じている。美術の歴史を、「自画像以前の時代」「自画像の時代」「自画像以降の時代」の三段階に分け、その中で自画像は十二の発展段階をたどるという。さらに西洋の自画像を三種類に分ける。自己を客観視するレオナルドのタイプ、自己を美化するデューラーのタイプ、仮装して他者に仮託するミケランジェロのタイプである。

 こうした独自の分類により五百点におよぶ膨大な自画像が位置づけられ、その変遷が一貫した視点から論じられる。かつてこれほど包括的に自画像が論じられたことはなかったであろう。

 とはいえ、個々の作品の分析はごく簡単で、代表的なタイプとされてしまったレオナルドの素描をはじめ、現代の美術史学からは自画像とはいいがたいものも混入しており、基本情報や表記もあちこちで誤っている。ひとつの美術作品はいずれも多様で奥深い世界を持っており、デューラーなど有名なものには膨大な研究成果が蓄積されている。本書には注も参考文献も載っていないが、こうした先行研究を軽視して、著者の抱く人類の思想史という大きな物語に、個々の作品を恣意(しい)的に当てはめているような印象を受けた。

 本書の最大の功績は日本の自画像に注目したことである。あまり知られていないが、近世の日本には膨大な自画像が存在した。そのほとんどは本書で「俳画系」と名付けられた簡略な描写であったが、自己を相対化し笑い飛ばす軽やかさに満ちている。それらを西洋の自画像に見られる深刻な自我の表現に対置させたことは興味深かった。

 従来の自画像論は、画家の伝記的事実と安易に結びつけられ、絵の外にある情報から自画像を解釈するものが多かった。この大著はそれらとは一線を画し、荒削りながら自画像というジャンルそのものの意味と本質に大胆に迫ろうとした試みとして評価できよう。

 (五柳書院 ・ 5184円)

<きのした・ながひろ> 1939年生まれ。芸術思想史家。著書『岡倉天心』など。

◆もう1冊 

 木村泰司著『美女たちの西洋美術史』(光文社新書)。マリー・アントワネットなど美術史を彩る肖像画から美女たちの運命を語る。

中日新聞 東京新聞
2016年7月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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