『伊豆の踊子』――このような涙を今の若者達が流せるか
[レビュアー] 渡部昇一(上智大学名誉教授)
川端の作品をとり上げるとすれば「山の音」とか「千羽鶴」などをとり上げるのが普通であろう。しかしここではあえて川端がまだ二十代の時に書いた「伊豆の踊子」をとり上げてみたい。というのは、この作品は川端が作り上げたというよりはむしろ青春の情感の流出を書きとどめたという気がするからである。
と同時に、今の人々にはわかりにくくなった時代の日本の社会とそこの人々について飾ることなく書きとめてくれているからである。
これを書いた時の作者は第一高等学校(今の東大教養学部)の学生でその当時の青年によくあった憂鬱症(ゆううつしょう)にかかっていた。おそらくそれをいやす為(ため)にひとりで伊豆半島を徒歩旅行していたのであった。そこで数人の女性を中心とする旅芸人の一行と一緒になるのである。その中に太鼓(たいこ)を持った少女がおり、それがいわゆる「伊豆の踊子」なのであるが、二人の間に淡い関心があったような記述があるが、別に熱っぽい恋愛の言葉や情景がある訳ではない。ただなんとなく作者はこの一行に従って旅を続けるのである。その途中で、聞くともなしに踊子が言うのが聞こえた。
「いい人ね」
「それはさう。いい人らしい」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」
この物言いは単純で明けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。
作者はこれを聞いて自分自身もいい人だと感ずることができたのであった。その頃は所々の村の入口には――物乞い旅芸人村に入るべからず――という立て札があった頃である。一高生は社会の上流階級、踊子達は社会の最底辺階級と見なされていた。下田に発つ前の晩、この一行は大島には家が二つもある人達だったことが分かって島に招待される。作者は金が尽きたので流行性感冒で親を失った三人の孫をつれたおばあさんを上野駅へ行く電車に乗せてやってくれと頼まれて東京行の船に乗る。その船の中で作者は枕にしたかばんがぬれる程、涙を流すのだ。このような涙を今の若者達が流せるであろうか。