沈没事故の“真相”に迫る大胆なフィクション

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受難

『受難』

著者
帚木 蓬生 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041042052
発売日
2016/06/28
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

沈没事故の“真相”に迫る大胆なフィクション

[レビュアー] タカザワケンジ(書評家、ライター)

『タイタニック』や『ポセイドン・アドベンチャー』など、これまで海難事故を描いた映画が作られてきた。そこでは、浸水の恐怖と戦い、生き延びるため苦心する人々の姿が大迫力で描かれていた。しかし、韓国の大型客船セウォル号の沈没事故は映画とは違っていた。客室での待機を命じられた高校生たちが家族に送ったメールは、もっと静かで絶望的な不安に満ちていた。

 多くの犠牲者が出るとは誰も思っていなかった。避難誘導のミスが指摘されたが、それ以前に船長以下乗組員が船を見捨てて逃げ出すという信じられない事態が起きていた。さらには船を違法に改造し、貨物を過搭載していたことが判明し、完全な「人災」だったことが明らかになる。しかも実質的なオーナーの失踪が報じられ、遺族が悲しみと怒りに震える様子が連日報道された。しかし、そのオーナーが謎の死を遂げると、なぜか報道は終息に向かう。まるで一つの事故を物語として楽しみ、消費してしまったかのように。

 しかし、セウォル号の事故を過去のものとして葬ることに抵抗した人がこの国にいる。それがこの『受難』の作者、帚木蓬生である。

 物語は、再生医療の最先端技術を研究し、治療に用いる細胞工学治療院を韓国の麗水に立ち上げた津村リカルド民男のもとに、とてつもない依頼が舞い込むところから始まる。滝壺に落ちて心肺停止状態にある女子高生が冷凍保存されている。ついては、レプリカの身体をつくり、脳を移植してほしいというものだった。折良く、研究チームがiPS細胞を使った身体の再生に成功していたため、津村は依頼を受ける。その頃、韓国ではセウォル号沈没のニュースがメディアを賑わしていた。

 iPS細胞をつかった身体のレプリカという発想にまず驚かされた。しかもそれが可能だとする作者の知見と描写に説得力がある。むろん、これは小説のなかの話だが、再生医療の研究が成果を上げている以上、近い将来、不可能なことではないのだろう。

 身体を再生することで甦った韓国の女子高生、春花は、再生した身体の不調におびえながらも、日々を真剣に生きていく。祖父と訪れた京都、済州島への旅を通して、日韓の忘れられた歴史を知る場面は印象的だ。日韓の深い交わりと埋まらない溝について、韓国人の春花の眼を通して見ることができるからだ。やがてまったく関わりがないと思われた春花とセウォル号事件が、意外な接点を持つことがわかり、物語は新たな展開を見せる。

 先述したように身体のレプリカ制作と脳移植は純然たるフィクションで、セウォル号事件は事実に基づいている。当然、前者のほうが自由自在に起伏に富んだストーリーをつくることができるはずだが、面白いことに、事実に基づいているはずの後者のほうがよほどありえないことばかりだ。つまり虚と実のポジションが逆転しており、私たちが立っている世界が揺らいで見えてくる。なぜ、こんなむごい事件が起きたのか? と、その理不尽にあらためてはらわたが煮えたぎる。

 作者の帚木蓬生は現役の精神科医。若き日にテレビ局に勤務していた経験もあり、ジャーナリスティックな感覚と専門知識をベースに、さまざまなジャンルの作品を執筆している。『受難』はこの作品だけ読んでも十分に楽しめるが、実は津村リカルド民男が登場するシリーズ第三作でもある。一作目の『受精』は、ブラジルの病院を舞台に、亡くなった恋人の子どもを先端技術によって「受精」しようとする若い女性と津村の出会いを描く。二作目の『受命』は、北朝鮮の巨大産院に招かれた津村が、金正日暗殺計画に巻き込まれていく。いずれの作品も現実をベースに大胆なフィクションを組み込むことで、読者に考えることをうながす。現実に対して想像力を持って立ち向かうこと──帚木作品にはその「勇気」がある。

KADOKAWA 本の旅人
2016年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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