三島が「戦後、最も重要な小説のひとつ」と激賞 『楡家の人びと』

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楡家の人びと 第1部

『楡家の人びと 第1部』

著者
北 杜夫 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784101131573
発売日
2011/07/05
価格
649円(税込)

書籍情報:openBD

三島が「戦後、最も重要な小説のひとつ」と激賞 『楡家の人びと』

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 北杜夫の一族をモデルにした大河小説。私小説の多かった日本文学のなかで、歴史、社会、そして個人を包み込んだ大長編として屹立している。三島由紀夫は「戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つ」「(日本文学にはじめて登場した)真に市民的な作品」と激賞した。

 大正七年から昭和の大戦を経て、戦後の混乱期まで。近代日本の挫折に、楡家の困難な歴史が重ね合わせられる。

 東京の青山にあった楡脳病院は、明治三十七年に山形県出身の楡基一郎によって創立された。まだ緑の多い郊外に宮殿のような建物は偉容を誇った。

 基一郎はドイツに留学したこともある成功者。衆議院議員にもなる。故郷の怪童を東京に呼び寄せ、相撲取りにして喜ぶような子供っぽいところもある。偉大なる俗物で、その誇張された言動はユーモアがあり、憎めない。

 基一郎は長女の婿に郷土の秀才、徹吉(てつよし)を迎える。学究肌で、豪放磊落な義父とも、夫を田舎者と見下している妻とも肌が合わない。モデルは北杜夫の父親である歌人、斎藤茂吉。大勢の家族のなかで孤独な暮しにひきこもる。

 北杜夫は愛読していたトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人びと』やディケンズの影響を受けたという。登場人物が家族に限らず、婆やや従業員に至るまで個性豊かに描かれている。とくに女性たちが生き生きとしている。徹吉の権高な妻の龍子。親の意に逆って恋愛結婚したために若くして病死してしまう次女の聖子。お転婆だった三女の桃子。さらに時代が下って、戦時中、海軍の軍医に係恋する女学生の藍子(龍子の娘)。

 文庫で三冊の長編だが、清冽平明な文章は一貫して乱れがない。

 昭和の戦争は楡家も直撃する。徹吉の義弟たちは応召してゆく。長男の峻一が陸軍の軍医として南方に行き、南海の孤島で飢えと戦うくだりは後半の圧巻。国難というべき戦争のなか、楡病院は空襲によって焼失してゆく。近代日本への粛然たる鎮魂曲にもなっている。

 北杜夫は後年、四部からなる『斎藤茂吉伝』(岩波書店)を書き上げる。

新潮社 週刊新潮
2016年7月28日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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