「ピンクとグレー」の次は「ギンとヤス」!?――つかこうへいとは、何者だったのか? その3

対談・鼎談

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つかこうへい正伝 1968-1982

『つかこうへい正伝 1968-1982』

著者
長谷川 康夫 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103397212
発売日
2015/11/18
価格
3,300円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「ピンクとグレー」の次は「ギンとヤス」!?――つかこうへいとは、何者だったのか? その3

1左から長谷川康夫さん、水道橋博士さん、樋口毅宏さん

『蒲田行進曲』『熱海殺人事件』など傑作を生み出した劇作家・演出家でありながら、虚実入り混じる伝説に彩られた演劇人、つかこうへい。
彼の真の姿を描き出した評伝『つかこうへい正伝 1968-1982』が刊行され、その驚愕の内容に芸能界、小説界を代表する“つかフリーク”の2人が著者のもとに集結。“正史”を検証する鼎談が行われた。議論は白熱沸騰、『波』に発表された5000字の記事に、今回3人による約1万4000字の超弩級加筆を経た、計1万9000字の完全無欠版が公開される!

■次なる語り部はジャニーズの……?

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長谷川康夫さん(脚本家・演出家)

水道橋博士(以下、博士) つかこうへいは1982年に劇団を解散し、89年に演劇活動を再開します。90年代以降はジャニーズをはじめ、芸能界の人たちを役者として育てていった側面もありますよね。阿部寛、黒木メイサ……石原良純も? そう言えば、たけし軍団の三又又三も北区つか劇団に入ったけど逃げ出した。
長谷川康夫(以下、長谷川) 育ててないじゃん(笑)。
博士 でも、ジャニーズには伝統的につかこうへいイズムが流れている。大根仁監督が、『演技者』というドラマでつかこうへいが少年隊に口立てで台詞をつけていくシーンはビデオに残っていて、これが刺激的です。しかも少年隊の錦織さんは、すっかりこの手法を継承していて、「つかこうへい」の芝居を引き継ぎ、今、日本で指折りの舞台演出家になっています。
『あさイチ』に出たとき、V6のイノッチと話したら、彼は本当に生き字引でいろいろと知ってるんだけど、「いやぁ、つかさんってすごかったですよぉ」って。ジャニーズの練習所に来て、木村拓哉君と中居君とに「よーし、これから“階段落ち”やるぞ」って『蒲田行進曲』を口立てで始めたんですって。ビデオで見たいよね!
長谷川 彼らがそんなに有名になる前だよね。つかさんは、そういう稽古場という空間が大好きなんだよね。自分が主役になれるじゃない? 当時はそういう現場自体がなくなってきた頃じゃないかと思う。それで嬉しくなっちゃって、周りの状況なんて関係なく、好き勝手にそういうことをしたんじゃないかな。
博士 でも突如「階段落ち」のセリフ言わされてもね(笑)「お前、銀ちゃんな」って言われてもさ。そういう後期のつかさんの功績は誰が語るんですかね。僕も取材したいんだけど……そうか、NEWSの加藤シゲアキくんに書いてもらえばいいんだ!
樋口毅宏(以下、樋口) 『ピンクとグレー』じゃなくて、「ギンとヤス」を!

■『蒲田行進曲』誕生秘話

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水道橋博士(浅草キッド)

博士 そうそう、『蒲田行進曲』の“ヤス”は、「長谷川康夫」の名からきているんですよね。
長谷川 最初、僕をその役で芝居を作ってたから、名前がまんま役名に残っちゃった。つかさん、この時期の新作は、役者の実名をそのまま役名にすることが多かったんです。『広島に原爆を落とす日』では、平田上等兵に、長谷川上等兵。で、石丸だけは二等兵(笑)。東大人文研の加藤健一教授とかね。『いつも心に太陽を』の主人公2人は、ヒラタミツルとカザマモリオだし。『蒲田』でも、僕で稽古してたから、呼び名が「ヤス」だった。
博士 そもそも『蒲田行進曲』というタイトルも、歌手のあがた森魚さんがつか芝居に出たことが発端で、あがたさんのLPに収録されていた同名の曲をつかさんが知り、先に題名から決まった。
長谷川 当初、つかさんは「ビビアン・リーの生涯」をモチーフとした芝居を作りたいという思いだったらしい。とっかかりはビビアン・リーの自伝と、ビリー・ワイルダーの映画『サンセット大通り』。今は世間から忘れられているのに、まだ自分が昔のように大スターだと疑わない老女優の狂気を描いたその映画が、ずっとつかさんの頭の中にはあって、松竹蒲田を舞台にした、そんな芝居を作るつもりだったらしい。だから『蒲田行進曲』の最初の稽古では、今は落ちぶれてしまった女優のところに映画監督志望の若い学生が訪ねてくる場面があったりしたんだよね。それが稽古をやっていく途中で大きく変わってしまう。
博士 つかさんがテレビで汐路章さんを見て……。
長谷川 そう。「徹子の部屋」で、汐路章という俳優さんが大部屋の一世一代の晴れ舞台として「階段落ち」の話をしたのを観て、つかさん、すぐ東映京都撮影所に飛んだ。で、そこを舞台とした物語になるんです。
博士 東映の萬屋錦之介を頂点とするヒエラルキーがあるけど、萬屋錦之介の「錦ちゃん」から「銀ちゃん」が生まれた。
長谷川 つまり銀ちゃんって、「錦ちゃん」ではないんだよね。ヒエラルキーの中ではトップスター(錦ちゃん)のワンランク、ツーランク下にいるスター。そこが面白いんだよね、つか流なのよね。
本来タイトルも『蒲田行進曲』じゃおかしい。だって中身は「京都太秦」の話で、「蒲田」とは何の関係もない。だから小説化して、角川の文芸誌『野生時代』に最初に発表したときは、さすがにつかさんも躊躇したらしく、『銀ちゃんのこと』としたんです。そのために、すぐ後に風間杜夫が銀ちゃんを演じた再演の芝居も、内容は初演の『蒲田行進曲』のままなんだけど、タイトルは『銀ちゃんのこと』となった。ところが小説版が単行本として出版されるときに、また『蒲田行進曲』に戻るんです。『銀ちゃんのこと』では売れないということになったんだろうね。
樋口 『蒲田行進曲』のタイトルの強さを信じなさいって見城さんが言ったと。
博士 こういう細部の話は面白いよね。だけど普通にエンターテインメントとして楽しむ人って、「なんで東映の話なのに『蒲田行進曲』なんだろう」ってことを思わないよね。
長谷川 『蒲田行進曲』も、元々歌ありきということを知らない。
博士 僕は、そういうところを補完してくれるのが、こういった本の面白いところで、それを分かち合う喜びをみんなが知るべきだと思ってるんですけどね。補完する面白さっていうのかな。つまり、松竹の『蒲田行進曲』なのに、角川映画の企画で、監督は深作欣二だし、舞台は東映映画。なぜ、そこに至ったのか、解き明かしていく、こういう細部が面白いんだよなぁ! 

■風間杜夫の手を縛った

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樋口毅宏さん(作家)

博士 あと、読んでいて、すげえなあって思ったのは、役者の演技にとにかく手振りを入れちゃダメだってとこ。役者って、手振りを入れてしゃべるじゃないですか。それは、つか芝居では厳禁なんですね。『つか正伝』では、『広島に原爆を落とす日』の稽古で風間さんは1週間、手をくくられてたっていう。
長谷川 後ろ手で結ばれてた。
博士 その状態で芝居の稽古してたってすごくないですか?
樋口 それがつかさん言うところの「お前、俺のところで垢を落としていけ」っていう(笑)
長谷川 いや結局は、つかさんのその場の思いつきだけなんだけど(笑)。
樋口 もう、身も蓋もないじゃないですか(笑)。
長谷川 まぁ、風間さんは他所の劇団でやってきたっていうこともあるし、台詞に合わせて手が動くタイプだったのよ。平田なんかは、つかさんの芝居しかやってないから、ほとんど動かない。
博士 うーん。そういう観点で芝居を見てみたいよね。
長谷川 身振りに関しては、僕はつかさんの芝居に限らず、ほとんどいらないと思っていて……普通はしゃべってるときに、手を大きく振って「ねぇねぇ」とかやらないでしょう。でも“演技する”となったとき、役者はついやっちゃうのよ。リアクションなんかでもそう。今は映像の世界でも、いちいちみんな表情を作る。わざとらしく驚いたり悲しんだりね。本来なら、「えっ?」って言えばいいだけ。これがつかこうへい流。「おう」「は?」「おい」というようなセリフでのリアクションのテンポが、気持ちのいいリズムとしてお客さんに伝わっていく。それでお客さんも惹き込まれていくわけ。役者のよけいな動きや表情は、実はそれを邪魔するということを、僕はつかさんから学んだ。そのかわり、声のトーンとか、「音」に対しては異常に拘り、ものすごく厳しかった。そこが「つか芝居」の肝なんだよね。
博士 それはテレビや映画ではほとんど再現できてないですよね。
長谷川 まぁ、ある種つか流のセリフ術っていうのがやっぱりあって、「おまえさぁ~、違うだろぉ!」とか、そういう言い回しの「音」は、風間さんなんかと話してると、いまだに残ってるよね。日常的にやり取りする中で、「あ、つかさんの真似してるな」って感じる瞬間がある。変になまってたりもするからね。「おい、聞いた?」(「き」にアクセント)とか、これはつかさんの九州なまりなんだよな(笑)。

■芝居は“風に書いた文学”

博士 この本は1982年の劇団解散で終わってるけど、その後はつかさん、風間さんや平田さんといった、いわゆる「劇団つかこうへい事務所」の俳優さんたちとは絡まないですよね。
長谷川 舞台には使わなかった。
博士 それは恥ずかしさっていう流儀があったから?
長谷川 どうなんだろう。最初は「俺はやることをやったし、お前らは充分これから一人でやっていけるだろうから、もう俺もお前たちを頼らないし、お前も俺を頼るなよ」っていうような、自分の中でのイキがりっていうのかな。そんなことだったんじゃないかな。で、いったんそうしたからには、その後も歯をくいしばって彼らを使わなかったという部分はあったかもしれない。
樋口 「やせ我慢の美学」ですね。
長谷川 まぁ、風間さんには「今度やるぞ」ってしょっちゅう言ったりはしてたけど(笑)。
樋口 そうみたいですね。そのいい加減さがまた、つかこうへいなんだな。
長谷川 「おまえで『花のお江戸の一心太助』ってのをやるからよ」とかね。「おい、おい」(笑)でしょう。どこまで本気かわからないのが、つかさんらしいところ。ただ後年は『蒲田』の銀ちゃん役をオファーしたこともあったらしい。ちょっと弱気になってたのかな。でも結局、風間さんは昔の劇団時代の作品への思いが強くて、当時のつかさんの芝居に参加するするにはどこか躊躇があって、断ったって聞いた。いや、つかさんだって、はなからそれはわかってたんだと思う。たぶん「ちょっと風間を盛り上げてやろう」っていう、おかしなサービス精神なのよ。それが、つかこうへい。まぁもし、風間杜夫、平田満なんかともう一度組んで何かやるとなったら、絶対に失敗できない。つかさんなりの覚悟が必要で、少し怯んだところもあったかもしれない。僕の勝手な思いですけどね。
博士 でも去年の暮、風間さん、平田さんが33年ぶりに、『熱海殺人事件』で共演したり、今年はつかさんの七回忌で、いくつもの作品の上演が続いてますよね。
長谷川 やってくれることは、僕自身、観客としてものすごく嬉しい。でも芝居は生き物だから、今、上演しているものが「つかこうへいの芝居」かというと、そこは違う。あくまでも他の人が手掛けたつか作品でしかない。つかさんが作った舞台とは別物。いや、それはそれでいいんだよ。でも観る側も、それが分かった上で楽しんでほしい。そんなふうにして、いろんな人たちがつかさんの作品を手掛け、お客さんもそれに触れて、つかこうへいの戯曲が必ずどこかで上演されているような状況が、将来もずっと続く……そうなることを僕は願ってます。
樋口 間違いなく、皆が継承していきますよ。つか作品は必ず古典になる。
博士 なんだかまとめに入るみたいだけど、長谷川さんが『つかこうへい正伝』を残してくれたことで、『腹黒日記』のこととか、グレーだったことがやっと腑に落ちた感じがあるよね。「口立て」ってどういうことなんだろうとかということもそうだけど。舞台裏や過去を遡って、細部を補完して、人と分かち合うのが、評伝を読む楽しさだと思うんですよね。
樋口 “役者が持っている言葉以上の台詞は生まれない”。大きな「答え」をもらいました。長谷川さん、ありがとうございます。
長谷川 ほら言ったでしょう。その表情、わざとらしいよ(笑)。
樋口 あの、カメラに向かって演技する俳優じゃないんで、そんな「ダメ」を出されても……(笑)。
博士 いや、つかさんは記録を残さない人だったから、長谷川さんが残してくれたことは貴重です。僕らも若手時代の例外を除いて漫才を一回もDVDにしたことがないんです。基本的にはものすごく長い漫才を一回かけるきりなんですね。「なぜDVDに残さないの?」って聞かれたら、いつも「つかこうへいが芝居を『風に書いた文学だ』って言ったんですよ」って答えてた。
長谷川 へーっ、つかさんいつそんな言葉、思いついたんだろ? きっと「お、これ、洒落てるな。ウケるぞ」って、ほくそ笑んだんだろうな。
博士 もう、最後の最後で、信じてたものをまた壊さないでくださいよ(笑)。でも、きちんと記録として残すというのも、それはそれで、同時代に乗り遅れてきた人にとっては遺産ですよ!
樋口 次はぜひ新潮社から「つかさん傑作選」も出してください!
長谷川 でも逆に何も残ってないから、本が書けたり、話したり出来るんですよ。もし映像とかきっちり残ってたら、こんなに偉そうに語れないよね。だいたい今日のこれだって、ヘタに文字に残したりすると、「なんと中身のない」ってことになるかも(笑)。
博士 わかりました、『波』への掲載、やめましょう!(笑)

7月7日 神楽坂ラカグにて
長谷川康夫『つかこうへい正伝1968-1982』発売中

新潮社
2016年8月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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