平野啓一郎『透明な迷宮』インタビュー[後編] 作家デビューから17年、芥川賞最年少受賞から16年

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透明な迷宮

『透明な迷宮』

著者
平野 啓一郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104260096
発売日
2014/06/30
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

平野啓一郎『透明な迷宮』インタビュー[後編] 作家デビューから17年、芥川賞最年少受賞から16年

[文] 平野啓一郎(作家)

ウォッカは、かなり飲んでも翌日は平気ですね。相撲取りみたいに鯨飲するわけではありませんが、何杯飲んだか覚えていないぐらい飲んでも大丈夫です。

平野啓一郎

◆小説家は「継続性」が大事

――京都大学在学中の1998年に『日蝕』でデビューしてから、作家生活17年目に入りました。
平野 気がついてみると、長くなりましたね。小説家は、とにかく継続的に仕事をしていけるかどうかがすべてだと思うんです。1年間で100万部売れるよりも、10年間で100万部売れたほうが絶対にいい。なぜなら、10年間続けた先でしか到達できないような思想的な深みや技術的なものがあるからです。そういう意味では、作家はとにかく長く続けられる体制を自分なりに維持していくことが大事で、出版社も作家が10年後、20年後に書いたものを出版できるように、その作家と共に歩んでいくことが大事だと思います。そうでないと、パッと出てきてパッと売れて、すぐいなくなってしまう作家の作品ばかり出版することになりますから。

――普段の原稿執筆のペースは?
平野 今は3月から毎日新聞朝刊で『マチネの終わりに』を連載しているので、1日に原稿用紙2.5枚(1000字)、月に75枚(3万字)ぐらいは必ず書かないといけません。それに加えてエッセイなどもあるから、月100枚(4万字)ぐらいになります。振り返ると、今までもそれぐらい書いてきている。本当はそんなに書いちゃいけない気がしているので、なるべく月当たりの原稿を減らしたいと思っています。月100枚書いていると1年で1200枚(48万字)も書くことになるじゃないですか。そうすると、よほど長い小説になるか、1年に何冊も出すというテンポになっちゃう。海外の作家を見ていると、400枚(16万字)ぐらいの作品を2~3年に1冊ずつ出すのが読者にとってはちょうどいいかなという気もするので、もうちょっとゆったりと書きたいんですが、気がついたら次から次へということになっているんですよね。

◆睡眠時間は平均4時間半

――原稿を書く時間帯は?
平野 昔は完全に夜型でしたが、子供が生まれたこともあって、最近は朝型です。午前4時前後に起きてしばらく書き、子供を送り出してから、また書きます。日中はけっこう取材や出版社との打ち合わせなどがあるので、空いた時間に原稿を書き、夕方から夜にかけては夕食を挟みながら、また書きます。睡眠時間は平均4時間半。本当は6時間ぐらい寝たいんですけどね。

※平野さんは、人気モデルの春香さんと2008年に結婚した。インタビュー当時、お子さんは長女(3歳)と長男(1歳)。

――新聞連載は大変な気がします。
平野 最初にストックがあって始めるので、今日書いた原稿を明日出してという逼迫した状況ではありません。でも、用事があったりして書けない日もあるから、だんだん貯金が減ってきている。いま踏ん張り時です(笑)。新聞連載は1年が多いんですが、それこそ1年連載すると900枚ぐらいになって、本としては負荷が出すぎるので、いちおう半年のつもりです。

――朝の連続テレビ小説のように必ず毎日、切りのいいところで終わらせないといけないんですか?
平野 正直、それはちょっと無理ですね。というのは、週刊連載ぐらいの枚数があれば、ここで盛り上げて、ここの引きで終わるというコントロールができますが、2.5枚毎に盛り上がって引きがあるようにすると、本にした時にデコボコの話になってしまうからです。それと、5行ぐらいのバッファはあるんですが、2.5枚の中であまりにも切りのいいところで切っちゃうと読者が次の日に読まなくなるような気がするし、あまりにも気持ち悪いところで切っちゃうと読者が怒りそうな気もするので、「ちょっと気持ち悪い」ぐらいの辺りで切るようにしています(笑)。
 『マチネの終わりに』は新聞に連載するだけでなく、「note(ノート)」というクリエイターと読者をつなぐSNSサービスを使ってウェブ上でも10日遅れぐらいで掲載しています。それだと、新聞連載と違って読者の反応がダイレクトにわかる。長編小説だから、抽象的な話が続く場面が、どうしても出てきます。そこを新聞連載の文字数で切っていくと、すべて抽象的な話が続く回がある。すると、それに対する面白いとか面白くないとかの反応が、すぐに見えてくるんです。やはり抽象的な話が続くと辛いんだな、ということがわかる。昔は小説の必然として、そこは必要なところだからと思って押し切っていた面もありますが、最近は僕も読者に優しくなってきて(笑)、その分量をどれぐらいにするかというコントロールも考えるようになりました。

◆“行きつけの店”はない

【火色の琥珀】より
 その日、私は彼女の自宅に夕食に誘われました。当然、ただ食事をして帰ることなど、考えてはいませんでした。
 サラダや肉料理など、食卓は彩り豊かで、私はその腕前に感心しました。どこかで習った風の料理でしたが、そもそものセンスがいいのか、まだ若いのに、非常に洗練されているように見えました。
 赤ワインのボトルを二人で半分ほど飲みましたが、私はいつも以上に無口でした。食事の間、私は折々彼女の口許を盗み見ては、そこに自分の口が重ねられるところを、一種の訓練のように想像していました。そして、総毛立つような気持ち悪さを感じ、不安を覚えました。

【Re:依田氏からの依頼】より
 Tと三人で、ミシュランの星付のフランス料理店で食事をした。
 依田夫人は、リストも見ないまま白ワインの銘柄を指定したが、生憎とそれがなく、ソムリエは近いものとして、別の幾つかを提案した。何でもないやりとりだったが、夫人は酷く狼狽して、本当にないのか、どうしてないのかと喰い下がった。
 Tが横から助け舟を出して、、推薦されたワインの中から、値段と甘い辛いだけで、適当なものを選んだ。ソムリエが退がると、依田夫人は、指定した銘柄がいかに美味しいワインか、そしてどれほど二人に飲ませたかったかを、気の毒なほど熱心に弁じた。詳しくて知っているというより、どこかでたまたま飲んだワインという感じだった。

――ご自身の食生活は?
平野 1日3食は食べないですね。昼と夜の2食です。好物は、とくにありません。九州出身なので昔はラーメンが好きだったんですが、最近は全くラーメン屋に行かなくなりました。理由は二つあって、一つは炭水化物をあまり食べなくなったことです。もう一つはコートを着ていたり、荷物を持っていたりすると、ラーメン屋に入りにくいこと。コートを脱いで丸椅子に座り、荷物を油でヌルヌルの床に置いてと考えたら、なんか億劫になるんですよね。ラーメン好きな人に聞くと、今のラーメン屋はコートを掛けるハンガーや荷物を置くスペースがある店も多いそうですが…。
 嫌いなものも、とくにありません。その時の気分で、値段の高い安いは関係なく、フランス料理を食べたくなったり、日本料理が食べたくなったり、タコスが食べたくなったりします。あの店のあの料理が食べたいと思って店に行ったのに、メニューを見ていたら違う料理が美味しそうに思えてきて、最初に食べたいと思っていた料理を選ぶべきか、いま心が動いた料理に変えるべきか、といったことも、けっこう考えたりします。
 逆に言うと、いつもの店でいつもの料理を食べるというのはないんですよ。自宅の近所以外では、同じ店には、ほとんど行かないですね。どんな料理でも、東京には店が山ほどあるじゃないですか。だから、たとえ1軒の店に行って美味しいと思っても、次は別の店に行きたくなるんです。リゾート地や温泉も同じ所には行きません。だから別荘を持ちたいとは全然思わない。それよりも、いろんな所に行ったほうがいい。

――今回の作品の食事の場面ではワインが登場します。
平野 お酒は何でも飲みますが、ワインだったら白よりも赤のほうが好きです。あとはスピリッツ系。ウオッカは、かなり飲んでも翌日は平気ですね。相撲取りみたいに鯨飲するわけではありませんが、何杯飲んだか覚えていないぐらい飲んでも大丈夫です。ただし、最近はお酒を飲む回数が激減しました。家では飲まないからです。昔は、よくバーとかに行っていたけど、子供が生まれてからは飲みに出かける回数が減りました。昔、テレビでおじさんがレミーマルタンなんかをリビングルームに置いてあるのを見て、あれは何なのかなと思っていましたが、最近、その気持ちがわかるようになりました。仕事が終わってちょっと何か飲みたいなと思った時に何もない。昔はそういう時はすぐに飲みに出ていたけど、今は行けない。そういう時用にブランデーやウイスキーのボトルを置ておくというのは「なるほどね」と思いました。

◆電子書籍へのシフトは当然

――電子書籍の現状と未来については、どのようにお考えですか?
平野 これはもはや一つの流れだから、どんどん加速していくでしょう。実際、僕に入ってくる電子の印税も、6~7年前とは比較にならないぐらい増えています。自分の世代はまだ紙の本のほうが読み易い人が多いと思いますが、もっと下の世代は端末で本を読むことが苦にならない人たちが増えてくるはずです。いま電車の中では、みんなスマホやタブレットをいじっていますよね。その画面の中で親指が1センチずれたら本を読む時間になり、2センチずれたらSNSやゲームの時間になり、という世界なので、出版業界がそちらにシフトしていくのは当然だと思います。
 ところが、日本の出版社は未だにすごく変で、たとえば「何万部突破」というのは紙の本の部数だけで、電子を合わせた数を出さないんですよ。だけど、アメリカなどでは紙と電子を合わせて部数を発表しています。日本の出版業界の人たちはみんな紙の本へのノスタルジーを語りますが、僕は少々懐疑的です。テレビの『笑っていいとも!』が終わるとなったら、「終わらないでほしい」という声が上がったけど、その人たちがみんな見ていたら視聴率はもっと良かったはず。それと同じで、本当に紙の本がいいという人がそんなに大勢いるなら、もっと紙の本が売れるはずですよね。

◆小説のない人生は満ち足りない

 また、僕の個人的な事情でいえば、とにかく蔵書の置き場の問題が実に深刻で、日々それとの闘いです。引っ越しの時は本だけで段ボール箱300個ほどありました。自宅の近所に倉庫を借りたり、実家に送ったりしていますが、その問題を電子書籍は根本的に解決してくれる。
 それに、蔵書をデータ化してクラウド上に置いておけば、世界中どこにいても仕事ができるようになります。インターネットで何でも調べられる時代になったといっても、やはり蔵書を紐解かないと資料が足りないということがよくあるので、この問題も解決する。
 さらに、読書時間も確保できます。1960~70年代の作家は、基本的に日本文学と欧米文学ぐらいまでが目配りしている範囲でしたが、今は南米、アフリカ、東欧など世界中から優れた文学が出てきているので、自分はかなり本を読んでいるほうだと思っても、網羅的に読むのはどんどん難しくなってきています。だから、空いている時間は寸暇を惜しんで読まないといけない。そういう時に電子本は、いつでもどこでも何でも読めて便利だと思います。
 「自炊」(自分が所有している本をイメージスキャナなどを使ってデジタルデータに変換すること)をどうするかでずっと揉めていますが、僕は版元が自社で出した本をデータ化するサービスをやればいいと思うんですよ。手数料を取るかどうかは考え方次第ですが、例えば200円取るなら、たとえば紙の本を1500円で売り、データ化して200円で売ったら、合計1700円になる。コピーガードをつけて、データ化された後の本を自社で処分すれば、海賊版になることもない。それぐらいフレキシブルにした方がいいんじゃないでしょうか。電子本について、日本の出版社はまだまだ工夫が足りないと思います。もちろん、紙が好きな人は紙で読めばいいわけだし、要は選択肢の問題でしょう。

――最後に、この17年で平野さんが変わったところは?
平野 僕が、というより、世の中が変わりましたよね。僕がデビューした1998年というのは、マイクロソフトの「ウィンドウズ98」が出て、インターネットが一般の人たちに普及し始めた時期です。電話回線でパソコン通信をやっていた時代のインターネットは、用事がある時だけアクセスする程度の場所だったけど、98年以降、一つの世界性を備えていった。その進歩が、ちょうど僕の作家の歩みと軌を一にしたので、それによって新たに可能になったことに対しては非常に敏感でした。そのことにほとんど興味のない同時代の作家もいましたが、僕は自分の小説を書いていく上で、そのテクノロジーの進歩と世界観の変化は、すごく大きな出来事でした。
 その一方で変わらないのは、いつの時代も世の中を生きていくのはフラストレーションがあって何かとくたびれるから、やはり小説が必要だという確信です。小説のない人生は満ち足りないと思います。

END

eBook Japan
2015年9月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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