『山の霊異記 霧中の幻影』
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山の霊異記 霧中の幻影 安曇潤平 著
[レビュアー] 宇江敏勝(作家・林業家)
◆里山を歩き、紡いだ話
中年になってから著者は無理のない里山を楽しんでいるという。時間をかけてゆっくりと歩き、麓の温泉にひたって地元の酒や料理に舌鼓をうつ。言い伝えの残る古刹(こさつ)を訪れ、妖しいはなしに耳をかたむけることもある。
十六篇の短篇小説が収められていて、山の雰囲気を堪能することができる。とくに麓から仰ぎ見る富士山のたたずまいがよい。純白の衣をまとった山容に、ゆるやかに広がる青い裾野は女性的な優雅さを感じさせてくれる。しかし低山とはいえ気象が一変して、濃い霧に包まれることもある。雨に濡(ぬ)れて体温が急速にさがる危険。そして亡霊や妖怪がいつとはなしに寄ってくるから油断はならない。
「推定古道」は、箱根峠からの雨の日の古道で、物の怪(け)にとり憑(つ)かれて道に迷うはなし。「声が聞こえる」は、遭難死した亡霊の声に誘われて、谷底にあやうく転落しそうになったはなし。「ついてくる女」は、二人連れの男の登山者に髪の長い見知らぬ女がついてくる。夜がふけて女はテントを覗(のぞ)き込み、そこからの出来事に読者は戦慄(せんりつ)させられる。
人は自然に身をゆだね、濃密な関係をもつことによって、不思議なものに出会ったり感じることができる。八月十一日が新しい祝日「山の日」になったが、霊異という観点から山の奥深い魅力を教えてくれる一冊といえようか。
(KADOKAWA・1404円)
<あずみ・じゅんぺい> 作家。著書『山の霊異記-赤いヤッケの男』など。
◆もう1冊
工藤隆雄著『山のミステリー』(山と渓谷社)。山の幽霊ばなしをはじめ、この世のものとは思えない不思議な実話集。