死を止めるのをいつ止めるべきか

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死を止めるのをいつ止めるべきか

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 人は死ぬ。定めに抗おうと、医学はこれまで懸命に努力を続けてきた。だが、時期を遅らせることはできても、定めそのものを変えることには成功していない。医学の発展によって確かに寿命は延びたが、それは私たちが人生を幸福に終えることと同義ではない。

 親しい誰かを看取った経験がある人なら誰でも、自分自身の人生の終わり方について考えをめぐらせたことがあるだろう。延命のためだけの医療は望まないし、できる限りいままでと同じ環境で過ごしたいが、家族や周囲に過重な負担はかけたくない。そう願いながら、現実にはそうはならないかもしれないと、漠然とした不安を感じている人も少なくないはずだ。

 本書は、そんなもやもやした思いに応え、何をなすべきかの道筋をさし示す。二〇一四年に刊行され、アメリカでベストセラーになったのも、人々の思いに寄り添い、誠実に応えようとする内容だったからだろう。

 外科医で公衆衛生の専門家でもある著者は、研修医時代から雑誌「ニューヨーカー」に寄稿してきた文筆家であり、クリントン政権下で政策立案に携わったこともある。医学と人生の終わりとのかかわりを書くのに、これほどふさわしい書き手はいない。

 本書の最大の魅力は、著者が視点を柔軟に動かして、ひとつの場所からは見えなかった落とし穴や解決策を発見していく過程にある。インド系アメリカ人二世として多文化的な環境に育ち、医師としても複数の専門を持つ著者は、ものごとをさまざまな視点から眺め、検討することができる。専門家でありつつ時には専門家の色のついた眼鏡をはずし、大事なことを見落としてはいないか、患者や家族の立場に沿って思考をめぐらせる。

 この本では、さまざまな個人の死や介護の体験が取り上げられている。患者としてかかわった人だけでなく、老人医療の専門家で介護の当事者になった人や、逆に家族としてかかわった経験から新しい介護システムを作り上げた人、自分自身の肉親や親族も含まれる。自分と同じ医師であるインド生まれの父親を看取った経験を、痛みを抑えて書いた記述は、とりわけ胸をうつ。医師を、医師である肉親が看取る場合でも、本人も家族もこれだけ迷い、混乱するのだ。

「死を止めるのをいつ止めるべきかを知る人は少ない」と著者は言う。加齢や病気でそれまで通りの生活ができなくなったとき、どんな医療サポートを受け、あるいは受けないのか。より長く生きることだけが人生の目標ではない。自律的に一生を終えるためには医学にも新しい規範や倫理が確立されるべきで、重要な問題を提起するこの本は広く読まれてほしい。

新潮社 新潮45
2016年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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