科学技術との出合いが少年を変えた。圧倒的なスケールで描く大作。〈インタビュー〉木内昇『光炎の人』

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光炎の人[上]

『光炎の人[上]』

著者
木内 昇 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041101452
発売日
2016/08/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

科学技術との出合いが少年を変えた。圧倒的なスケールで描く大作。〈インタビュー〉木内昇『光炎の人』

技術は人を幸せにする――そう信じてもがく男の一生を通じ、技術に潜む光と闇を圧倒的スケールで描ききった本作。時代の変化の中で懸命に生きる人たちを丁寧に描き、深みのある作品を発表し続けている著者に、話をうかがった。

技術がもたらす
恩恵と危険性

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――電気や電波の開発に携わる一技術者の運命に、大きな時代の流れを重ねて描く『光炎の人』には東日本大震災が大きな影響を与えたそうですが、初めに小説のなりたちからうかがえますか。

木内 『光炎の人』について考え始めたのは震災が起きる前で、最初は原発事故というのは念頭になかったんです。

 科学や技術というのは、往々にして戦争や軍事に利用されます。しかし技術者は、開発した技術がどう使われていくのかに責任が持てません。技術者はとにかく技術を開発したいし、悪用されるかもしれないということにまではなかなか考えが及ばない。その結果、すぐれた兵器が生み出されてしまうこともある。どんな分野にもある危険性ですけど、なかでも技術は一番、その危険にさらされています。そういうことを小説に書けないだろうかと考えていたところに、三・一一の東日本大震災が起きました。

――震災をきっかけに、というより、もっと長いスパンで考えてこられた主題なんですね。

木内 震災前に戦争と技術について考えていた時間のほうが長いですけど、三・一一の原発事故で、自分の考えがより深まった気がします。

 原発というのはあからさまな軍事技術ではありません。電気を供給して私たちの生活を楽にしてくれるもので、誰もがその恩恵にあずかってきました。けれど、ああいう途方もない事故が起きると、人々の暮らしを根こそぎ奪ってしまう。それを目の当たりにしたとき、技術や技術者の責任の取り方について改めて考えさせられました。

――そうした社会状況の変化は、主人公の音三郎の描き方に影響しましたか。

木内 そうですね。私はこれまでずっと、脇役のような名もなき人を主人公にしてきたので、今回は、すごい成功を収めてみんなが「やったー」というようなオーソドックスな人物を一度、書いてみたいなと思っていたんです。貧乏な男がのしあがっていく話を書きたい気持ちがあったはずなのに、社会のいろいろな動きを見ているうちに、「そんなに簡単じゃない」って、いつもの癖が出てしまいました(笑)。

 一生懸命に開発に取り組む音三郎を、頑張れと応援する気持ちで上巻を読んだ読者が、下巻で様変わりしていく彼を見てどう感じるかは気になりますね。

――たしかに、どんどん変わっていく音三郎にはハラハラさせられます。ただ、立身出世の物語には大体、いいことしか書かれないけど、実際に成功してのしあがっていく人はいろいろなものを切り捨てざるをえないだろうな、とも感じました。

木内 成功していく人って、ありのままを書いていったらおそらく後ろ暗い出来事も多いんでしょうね。すがすがしいだけの人なんていないんじゃないでしょうか。でも、音三郎がもっとずるい悪人だったら、うまく切り抜けられた場面もあったんじゃないかと思うんです。技術開発のことだけ考えていたい純粋な人だからこそ、いろんな壁にぶつかり、思わぬ選択をするのだと思います。

時代特有のダイナミックな変化を描く

――明治末から大正、昭和初期にかけての目を見張る科学技術の発展が描かれて、読むほうは新鮮で面白いですが、これだけ調べるのは大変だったでしょう。

木内 電気エネルギーが生まれる時期に焦点を当てたくて、主人公の音三郎を、いろんな技術に触れたのちに電波にたどりつく設定にしたんですけど、この時代の人が何を知っていて何を知らないのかをつかむのは難しかったですね。鉱石ラジオという、すごく面白い素材を見つけたので、誰もが楽しめる製品を完成させていく人として音三郎を描くような方向もあったんですが(笑)、ちょうど、電波や無線、通信といったものが軍事にどんどん使われ始めた時代でもあり、そのあたりまで視野に入れようと思いました。

 小説にはそれほど大きく出てきませんが、治安維持法が制定され、暗い時代に突入していく時期にもあたっています。なるべくその当時の人が見た感じを、デモがあったら、なぜデモが起きたかというだけでなく、一般の人たちがどう感じただろうということを書こうと心がけました。

――徳島の山あいの村の葉煙草農家の三男坊に生まれた音三郎は、小学校も終えないうちから働き始め、山を下りて煙草工場に勤めます。その後、大阪に出て伸銅の工場で電気や電波に触れ、東京の火薬製造所の研究員になるチャンスをつかみ、無線の開発に取り組みます。もともと、木内さんはエネルギーや物理学への興味があったんですか。

木内 いえ、全然。エネルギーにも無線にも、まったく興味を持ったことがなかったんです。自分が理系は苦手だということを、書き始めるまでまったく失念していました。工場見学に行ったり、技術者の方に話を聞いたりもしましたが、何しろ電気って目に見えないので、鉱石ラジオの話を聞いても、何がどう回ってるのかがわからない。

 これまで書いてきた、たとえば『櫛挽道守』(集英社)の櫛なら、木材をこう切ればこうなるとか、使った時の感覚とか、見ればだいたいわかるんですよね。身体感覚で表現したいのに、今回は自分が理解できないことを描くので苦労しました。

 この小説では、徳島県内、大阪、東京、満州と、主人公をどんどん動かして、社会のダイナミックな変化を描いていこうと思ったんです。電気があるところとないところではすごく違いがある時代なんですが、音三郎が働く場所を変えるたびにその分野の資料にあたって、こういう用語は使わない、といったことを一つひとつチェックしなきゃならないんですよ。

 古本屋さんに眠っている、当時の電線の被覆なんかの試験の参考書を片っ端からだーっと集めて、この時期ならこのぐらいまで知識があったんだ、というのを見比べていきました。昔といってもすでに相当に専門的な内容なので、書かれていることを理解するだけでも大変でした。せめて発電所なら発電所、無線なら無線と、一つのことだけ音三郎にやらせればよかったと、途中で何度も後悔しました(笑)。

――あまりに大変で、途中でやめたくなったりとかは……?

木内 書き下ろしだったら、「ちょっと今回は」と言ったかも(笑)。連載の強みといいますか、とにかく次の号、次の号と書いていかなければならなかったので、必死に調べるしかなかったです。優秀な校閲の方が細かいところまで見てくださったのが心強かったですし、用語などのチェックは専門家にもお願いしました。

 電気や電波がなかった時代に手探りで開発していく話なので、主人公が電波ってなんだろう、っていうところから分け入っていくときに、私自身の感覚の鈍さというか、わからなさみたいなものが逆に役に立ったところもあると思います。現代の、すでにある技術として電波を扱う人を書くのは、とてもじゃないけど無理だったでしょうね。

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――連載を始める時点で、どのあたりまで構想を決めていらしたんですか。

木内 一応、プロットは書くんですけど、私、プロットを見返すということをしないんですよ。書き始めると、全部忘れてしまうんです。ただ、小説の最後に出てくる、歴史の岐路となる大事件のことは頭にありましたね。

――技術者を主人公にした小説を書くときに、技術の行き着く先のイメージはあった、ということですね。

木内 そうですね。事件に関連するところまで書く、というのはなんとなく。音三郎がどうかかわっていくか、明治の末から昭和の初めまでの二十数年をどう描くか、ということまで具体的に考えていたわけではありませんけど。

 最初は決めていなかったことでいうと、大阪時代に同僚技術者の金海を登場させられて良かったです。彼は技術者の立場で、技術を使う一般人のことを阿呆と言います。口は悪いけれど、技術者はどんな人間が製品を使うかわからないということを忘れてはいけないと思うんです。そういう大切なことを嫌な奴に言われて、後々まで心理的に尾を引いてしまう。それに、彼の言動で音三郎の学歴コンプレックスが引き出されたことも、結果的に大きかったですね。

 私は、いわゆる「小説が降りてくる」タイプの作家ではないんですが、自分の意図で無理に登場人物を動かしたりはしないように気をつけています。人物全員を観察して、こういう立場に置かれたとき、この人はどうしたいだろうって、それぞれにインタビューするような気持ちで書いていくんです。自分でも、この先、いったいどうなっていくんだろう、と思って書いていたので、最後のシーンにたどりついたときは、音三郎に別の生き方はなかっただろうかと、少し茫然としてしまいました。

一度立ち止まって
考えないといけない

――上下巻の、木内さんとしてはこれまでで一番長い小説ですね。

木内 書き始めるまでも、書き始めてからもすごく時間がかかり、連載も長くなってしまいましたけど、その間に、状況の変化をじっくり観察できたのはよかったです。一方的な感情でこの小説を書かずにすんだので。

 それまでは、一部の人を除けば、原発で事故が起きたらどうなるんだ、なんて疑問は皆少しも抱かずに電力を使っていたと思うんです。けれどもあの大きな事故が起きると、原発反対のすごいデモがあって、「節電、節電」と言われるようになって。それから何年かたった今では、節電なんてほとんど口にしなくなっている。あれだけのことがあっても忘れられてしまう。そういうことが技術の進歩を助けている面もあるし、悪用につながる面もあります。

 大事故が起きたときに、ターゲットを一つ決めて、みんながそこに刃を向けて断罪するだけでは何の発展性もないし解決にもならない。一度立ち止まって、なぜそうなったのか、じゃあ次からどうすればいいのかを考えないといけないのに。

 小説の音三郎は、自分が開発した技術を実用化したかっただけで、軍にかかわるというのがどういうことかも途中から考えなくなってしまいます。音三郎は技術者ですが、たとえば明日から小説を書いてはいけない、だけど軍用だったら書いてもいいですよ、ということになったら書く人が出てくるかもしれない。自分の欲望ややりたいことをすべてに優先させる危うさは、じつは誰もが持っているものだと思います。

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木内昇(きうち・のぼり)
1967年東京都生まれ。出版社勤務を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。その後、08年発表の『茗荷谷の猫』が各紙誌で絶賛され大きな話題に。09年に早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。

取材・文|佐久間文子 撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2016年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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