東京藝大は日本のアマゾンだ!

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東京藝大は日本のアマゾンだ!

[レビュアー] 高野秀行(作家)

 書評を頼まれたときは自分で読んでから返事をすることにしている。万に一つも面白くない本を薦めるわけにいかないからだ。でも本書は読まずに受けてしまった。だって、このタイトルだもの。読んでみれば果たして期待通りだった。

 著者は小説家で、芸術とは格別縁がない、言わば普通の人。だが奥さんが現役の東京藝大生(彫刻科)。巨大な一本の木に鑿(のみ)をふるって家中が工事現場のようになったり、半紙を体中に貼り付けて「自分の型」を取っていたりする。台所でツナ缶を見つけたと思いきや、ガスマスクのフィルター部分だった。「樹脂加工」の授業で、有毒ガス防止のために使用するという。しかもどこで買ったのかと訊けば、「生協」。藝大の生協ではガスマスクが販売されているのだ。

 あまりに面白いので、妻をコーディネーターとして藝大探検を始めた。美術専攻の「美校」と音楽専攻の「音校」の全学科の学生にインタビューを敢行し、彼らの制作・演奏現場も訪ねる。その全貌はまさに南米のアマゾンをも彷彿させるカオスっぷり。

 カオスといっても「デタラメ」なのではない。アマゾンの熱帯雨林に行くと、「こんな植物があるのか!?」「なんだ、この魚は!?」と驚かされるが、藝大も同様。他では見ない「人種」がわんさかいるのである。

 例えば、「天才」という人種。ある日本画専攻の学生は、十代の頃からグラフィティ(落書き)を繰り返して警察に何度も逮捕されたあげく少年院送りとなり、出所(出院?)してからは鳶職とホストクラブのホストで稼ぎまくったが、「やっぱり絵が描きたい」と藝大に入ったという。

 音楽環境創造科には2014年国際口笛大会のグランドチャンピオンがいる。口笛の世界最高峰なのである。「オーケストラや室内楽に『口笛』というパートを作りたい」と語る。

 東大工学部建築学科を卒業しているという猛者もいる。中高一貫校にいたこともあり、“流されるまま勉強しているうちに東大に入った”が、「何かをやりたかったのにやらなかった」と後悔するのが嫌で、一念発起して藝大に入り直したとのこと。しかも作曲科! どれだけ才能があるんだ、と言いたい。

 天才の他に、当然奇人変人も多い。家の天井にビニールパイプを張り巡らせて水を撒き「雨宿り」を味わうという表現をしている先端芸術表現科の学生、究極の美を表現するためにブラジャーを仮面にハートのニップレス姿でキャンパスを闊歩しているが、なぜか専攻は絵画科油画専攻という女子学生……。

 しかし、である。笑っていたのは最初のうちだけだった。やがて、あまりの真剣度に圧倒されてしまった。

 ピアノ専攻の学生は毎日、自主練が九時間。「目が見えなくなっても片腕がもがれても最悪なんとかなるけど、耳は大事。だから耳のケアには気をつかっている」というようなことを平然と語る。美校も負けてはいない。例えば、「鍛金(簡単にいえば鍛冶)」の研究室にはエアープラズマ溶断機、大型高速カッターなど「命取りになる機械しかない」。化繊の服は火がついたとき一気に燃え広がるので綿の服を着るようにするという。危険と隣り合わせだが、制作は超繊細。金槌も用途で使い分け、人によっては何百本も持っている。しかも全部自作……。

 芸術と聞くと、私のような素人は「感性の世界」と思ってしまうが、実際には肉体を酷使し、0・1ミリ単位の技術を磨いているのだ。先鋭的なアルピニストや修行僧に近い。しかるに、卒業してプロになれるのはほんの一握りしかいないという恐ろしく厳しい世界である。

 にもかかわらず、本書に登場する藝大生に悲壮感はない。誰しも楽しげだ。そして、自分の専攻について情熱をこめて語りに語る。バロック、デザイン、三味線、漆芸……。

 東西のあらゆる芸術の魅力が若者たちの言葉で生き生きと語られる。私は正直言って、こんなに芸術が眩しく思えたことがない。ある意味で、高名な芸術家や評論家の言葉を超えている。藝大生たちはまさに今、採れたばかりの野菜のようだ。大したブランドでなくても、鮮度が抜群に高い。

新潮社 波
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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