井上都・インタビュー 確かにそこにあった家族の思い出

インタビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

ごはんの時間

『ごはんの時間』

著者
井上 都 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103502814
発売日
2016/09/30
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

井上都 確かにそこにあった家族の思い出

——久しぶりのエッセイ集ですね。今回エッセイを書き始められたきっかけを教えてください。

 二年半前に、文芸誌「小説すばる」に、父井上ひさしの万年筆についての文章を書かせていただいたところ、毎日新聞社の記者の方が声をかけてくださって、週一回、夕刊にコラムを書かせていただくことになりました。毎回、テーマは食べ物ということは決まっていて、二年間連載したものがこの本にまとまりました。週に一回は大変ですよと言われて、そうでもないんじゃないかと思っていたのだけれど、実際大変でした。たった650字だったのに、一週間ずーっとそのことを考えていました。ものを書くことは並大抵のことじゃないんだと改めて実感しました。父はいくつも締め切りを抱えていたから、相当大変だったんだということが、身をもってわかりました。

——毎回食べ物にまつわるエッセイを書くことのご苦労はありましたか。

 元来、食べ物にあまりこだわりがなくて、毎日同じものを食べててもいいくらいなので、食べ物や料理と自分の思い出がつながるような事柄を探すのですが、なかなか見つからなくて苦労しました。でも、父がらみで書いたほうがいいだろうと思っていたので、父と食べ物ということを考えて、たとえば最初のほうでは、ごはんではないけれど、「父と衛生ボーロとけんか」の思い出を書きました。

——臨場感があってちょっとユーモラスで、井上ひさしさんの一面を垣間見ることができる話でした。

 この出来事はすごくよく憶えています。子供の頃、父と一緒に乗ったバスの中で、父とよその人がけんかになって、降りてから一騎打ちみたいになったのではらはらしました。一緒に暮らしていた当時の父は、お昼は冷やしたぬき蕎麦と決めたら、夏でも冬でもずーっとそれを食べるような人でした。子供時代のことや昔食べたものに対して懐かしい思いはあったと思うけれど、仕事のことが第一で、食べものには関心がなかったと思います。

——子供の頃一緒に暮らしたご家族の思い出が多いのですが、ご家族について書くことに気を遣われた点はありましたか。

 私なりに、書かれた本人がいい気分にならないことは書いちゃいけないというのはありました。ただ、両親が離婚していて、私と妹二人がいるんですけれど、私たちにとっての家族が希薄になっているっていう感覚が自分の中にあったので、もうなくなって過去の家族になってしまっているけれど、確かに楽しく過ごしていた私たちの子供時代というのがあった、ということをどこかで伝えたい思いが、強くありました。「あのあといろいろあってずいぶん違ってきちゃったけれども、楽しかったよね、あの頃」ということを、父にも母にも妹たちにも、読んでくださる方にも伝えたいというのがあったと思います。

——そういう思いはすごく伝わってきて温かい気持ちになります。

 そうですか。良かったです。新聞連載中に読者の方から何通かお手紙をいただいたのですが、ご家族を見送って一人暮らしの女の方から、あなたの連載をとても楽しみにしているというお手紙をいただいて、とても励みになりました。

——とくに記憶に残っている食べ物の話はありますか。

 父と母が夜食に食べていたスパゲッティとか、父がいつもお土産に買ってきてくれたネコの舌チョコレートとか、映画帰りの帝国ホテルの1ドル銀貨パンケーキとか。うちは父が作家だったこともあってか家族旅行をしたことがなくて、家族で映画に行くのが唯一の楽しみでした。

——今のご自身の暮らしについても書かれていますね。春夏秋冬の季節感も感じられます。

 現在ごはんを作るのは息子のためなので、どうしても息子との話を書いてしまいます。それから、私は子どもの頃に明治大正生まれの祖父母と暮らしていて、その頃は祖母がごはんを作っていたのですが、食卓にはかならずおしんこやきんぴらやひじきがありました。季節ごとに会話の中に旬のものが出てきて、たとえば菖蒲湯とかお彼岸とか、そういうことも書けたらいいなと思っていました。

——原稿はどんな時間帯に書かれていましたか。

 書くのは食卓です。どこでもなんでもメモをとって、それを見ながら息子が寝た後にパソコンに向かうという感じです。大好きな幸田文さんを目指して、というわけではないのですが、少しずつでも書いていけたらと思っています。現在は、失われてしまった家族を物語のなかで蘇らせたいと、小説に挑戦しています。

新潮社 波
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク