ゴージャスな技巧が導くしみったれた世界の愉楽
[レビュアー] 小山太一(英文学者・翻訳家)
心当たりがあるぞ。この短篇集が投げつけてくる男たちの生き方のダメさ、グダグダさには、私自身、少なからず心当たりがある。
飛んできたものが当たると、痛い。『酔狂市街戦』の心当たりはとても痛いけれども、同時にトホホと笑わされてしまう。私とて、実生活で「ト・ホ・ホ」という文字をそのまま声に出すほどのヒョウロク玉ではないが、たぶん今、私の口元は、まぎれもない「トホホ」の形だ。
作者は四つの短篇すべてを、全力で読者めがけてぶん投げている。ところが、投げられた言葉はビュンと飛んでグサリッと突き立つのではなく、「川っぺりらっぱ」の主人公が投げたシャベルのように「ぶるんぶるんまわりながら」飛んできてこちらの心に当たり、「『コポン』と音を立て」るのだ。「コポン」という音の抜けかげん込みだからこそ、心当たりの痛みがじんわりと回ってくる。
投げつけられる物語の素材は、決してまっすぐ飛びそうにない〈逸品〉ばかりだ。非番の日に社長の愛人を送迎させられる運転手。ある劇団になんとなく居ついてしまって三十年の飲んべえ。いちばん有能なメンバーに抜けられてしまった三人のバンドマン。父親の持ち物である川っぺりのプレハブ小屋でちっぽけな音楽教室をやっている「中の下ってところ」のサックス奏者。彼らはみんな「何も起こさず、何も起きない生き方」にかろうじて自意識を保護されながらぶるんぶるんと空回りを続け、ときどき暴力的な外界にぶつかって痛い目に遭わされる。その傷つきっぷりは、悲しくて、おかしくて、どこまでもしみったれている。
話はしみったれていても、語りの技巧はゴージャスだ。「おれは栗まみれになった」「このサラリーマンは、とても良いニオイがします」「おれなんてコンニャクだぞ」といったフレーズを抜き出しても良さは伝わるまいが、それでも抜き出したい。それらがどういいのかは、現物で確認を。