希代のヒットメイカーは日記魔でもあった

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不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む

『不機嫌な作詞家 阿久悠日記を読む』

著者
三田 完 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784163905044
発売日
2016/07/30
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

希代のヒットメイカーは日記魔でもあった

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 シングルレコードの売り上げが累計七千万枚。希代のヒットメイカーであった作詞家阿久悠は日記魔でもあった。病気がちの少年時代、医師に命じられた、「はしゃがない、興奮しない、怒らない」を生涯守りつつ、日記に心の動きを記録し続けた。著者が「祈りをささげる神殿」と書くその日記は、中年になって思いがけず得た、何でも話せ、自分を奮い立たせてくれる親しい友人のようでもある。

 日記のつけはじめは昭和五十六(一九八一)年一月一日。忘年会の福引で日記帳が当たったのがきっかけというから偶然の出会いだが、以後、その日のニュースから本やテレビで得た情報、創作のアイデアまで、毎日欠かさず記していった。永井荷風をはじめとする先人の日記も参考にしながら、のちに『日記力』という本を出すほどのめりこんでいく。

 NHKのディレクター時代に知り合い、退局後は阿久の近くで仕事をするようになり、また阿久同様、小説を書くようになった著者は、阿久の「創作の秘密が明らかになるのでは」という思いから、七十歳で亡くなる半月前までの二十六年七カ月にわたってつけ続けた日記を読みといていく。

 日記をつけ出した日の前日、阿久は「雨の慕情」で五度目のレコード大賞を受賞している。一九七〇年代、作詞家としての頂点に立った阿久だが、功成り名遂げてなお貪欲に新しい分野へ目を向け、小説に活動の重心を動かそうとしていた。

 著者も推察する通り、日記好きの阿久は、死後、他人の目にふれることを想定していたかもしれない。それでもやはり、公刊された著作とは違った生の声があり、仕事の目標や、みずからに禁じたはずのはしゃぎや興奮、怒りの跡も見られる。

 小説『瀬戸内少年野球団』が映画になり、原作者として十八歳で離れた故郷の淡路島を訪れた日は、「故郷に錦を飾るという快感は、余程の無神経でないとあり得ない」。大学卒業後に広告会社の同僚で親友だった漫画家、上村一夫の告別式の日には「夢は思い浮かべるだけではなく、大いに語り、大いに急ぎ、形づくるべきであったと悔やんでいる」。

 つねに新しい才能に目を向け、「村上春樹を気にしてみよう」とデビューからまもない時期に書く。小説では三度、直木賞の候補になるが受賞しなかった。文壇のゴルフコンペに参加した日の、「なんともしめっぽい文士雰囲気たちこめ、小説は書くも、小説家になるべきでないと思う」。別の日には「向田邦子、青島幸男、そして今回つかこうへいにまでスイスイと先をこされると、ムッともする」とあり、それから二十年近くあとには、「ライバルが直木賞とりし日の夜の梅/こぼれ散るさましばし見ており――なかにし礼氏受賞――」と記されている。

新潮社 新潮45
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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