七七年前の謎を解き明かす 調査報道の底力

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七七年前の謎を解き明かす 調査報道の底力

[レビュアー] 鈴木裕也(ライター)

 若かりし頃、週刊誌の事件記者だった経験がある。もちろん「端くれ」だ。それでも取材を続けていると、新聞やテレビが触れなかった事件の裏側や隠された事実に行き当たることがある。ある程度取材の経験を積んだ私はひとかどの探偵気取りで、本気で取材すれば突き止められないことなどないと思い上がった時期もあったものだ。

 そんな端くれとして本書を読んで驚いた。事件取材の手法で「南京大虐殺」に迫る――。そんなことができるなんて考えてみたこともなかったからだ。

 時は一九三七年。日中戦争のさなか、日本軍が南京を攻略した際に、多数の捕虜や民間人を虐殺したとされる事件。その被害者数は「三〇万人以上」「数千人にすぎない」「いや、そもそも大虐殺などなかった」と、立場によって大きく異なる。真偽を確かめようにも直接証拠は敗戦時に処分され、もはや水掛け論にしかなるまいと、私は思い込んでいた。

 だが、「知ろうとしないことは罪」と自らを奮い立たせて、著者はこれに挑戦した。桶川ストーカー殺人事件では警察よりも先に犯人にたどり着き、足利事件の再調査では冤罪を証明してきた“調査報道のプロ”である。実際に現場にいた従軍兵士の日記を丹念に当たり、その記述の裏をコツコツと取る作業を積み重ね、これまで語られることが少なかった南京事件の事実を明らかにしてしまった。

 この取材を元にして放送され、多くの賞を受賞した「NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言」を書籍化した本書を読めば、誰もが一つしかない“事実”を確信するはずだ。むしろ、なぜさまざまな「説」がまかり通るのかのほうが不思議に思えてくる。

 本書を読んで、政治家や企業家が隠していた「不都合な事実」が白日の下にさらされて世間が大騒ぎするのを横目で眺めてきた自分を反省した。政治的・思想的バイアスがかかり、見えなくなっている事実を知るのは快感なのだと、改めて思い知らされた。

新潮社 新潮45
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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