西上心太 命がけで任務を全うする二人のヒロイン

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西上心太 命がけで任務を全うする二人のヒロイン

[レビュアー] 西上心太(文芸評論家)

 百名山などを対象にしたそこそこハードな登山のナビゲーション番組や、山歩きがテーマの趣味講座がNHKで放映されるなど、登山ブームはいまも続いているようだ。山に魅せられた作家も少なくないようで、取材も兼ねての山行につき合わされ、急峻な岩場を前に、涙目になりながらよじ登る編集者もいるらしい。登りは辛くても頂上に立った時の気分は格別だろうが、こればかりは自らの足でたどりついた者でないと味わえない。

 しかし世には優れた冒険小説が数多くあるではないか。ひとたびそれらのページをめくれば、雪が吹きすさぶ高山であろうが、熱波に覆われた砂漠であろうが、いながらにして過酷な地へと誘ってくれる。われら本読みの役目は、過去の名作について言及するだけでなく、新たに生みだされる傑作への目配りをおろそかにしないことである。だがこと山岳冒険小説のジャンルにおいては、樋口明雄の作品を選んでおけば間違いはないのである。

 本書『火竜の山』は、作者の看板となった、南アルプス山岳救助隊(K―9)シリーズの第四弾である。この救助隊の特徴は、隊の中に三頭の山岳救助犬とペアーを組むハンドラーと呼ばれる隊員がいることだ。犬の優れた嗅覚と広範な活動範囲を武器に、遭難者たちの捜索に当たるのだ。とはいえ、今回舞台となるのは彼らのホームである南アルプスの主峰北岳(きただけ)ではなく、独立峰の新羅山(しんらさん)を有する岐阜県狩場(かりば)市である(自治体と山は架空の設定)。狩場市は奥飛騨(おくひだ)の別荘地といわれる街だ。高速道路の延伸により都会からのアクセスが改善された結果、独立峰で登りやすい新羅山はにわかに登山客の人気を集め始めたのだ。

 K―9のハンドラー星野夏実(ほしのなつみ)と神崎静奈(かんざきせいな)は、それぞれの《相棒》であるボーダーコリーのメイとジャーマン・シェパードのバロンとともに狩場市へ赴いた。同地の警察署で、山岳救助の講演とデモンストレーションを行なうためだ。その途中の高速道路で、法規違反を犯して二人の車を追い抜いていったワゴンに遭遇した。運転席と助手席には若いカップルの姿があったが、後部座席に東京で誘拐された少年が乗せられていたことを二人は知るよしもなかった。

 一方、火山地質学者の榎田(えのきだ)は、大学で活火山である新羅山の観測を続けていたが、観測データから近々に噴火の可能性が高いことを読み取り、自治体に注意を促した。だが折悪しく、榎田の一人娘である沙耶(さや)はネットで知り合ったメンバーとともに新羅山に向かっていた。

 監禁されていた別荘から逃亡し、新羅山に逃げ込んだ少年、彼を追う誘拐犯カップル、下山の勧めに従わず頂上を目指す沙耶のパーティ、さらに韓国人の殺し屋も新羅山の麓にやってくる。そして、山岳救助隊の二人と二頭は、遭難者を救うため火竜が暴れ出しはじめた山に足を踏み入れる。

 多数の犠牲者が出た御嶽山(おんたけさん)の突然の噴火は記憶に新しい。自治体にすれば登山は貴重な観光資源であるため、確実な短期予測がほぼ不可能な噴火に対する入山規制は、よほどのことがない限り実施しにくい現実がある。また登山者の増加に従い、モラルや常識を知らない無謀な登山家も増えている。本書にも登山パーティの意義を理解していない、名ばかりのリーダーが登場する。このような問題提起をさりげなくプロットに取り入れているのも、作者が山をこよなく愛しているからこそだろう。噴火という非常時に加え、モラルなき登山者と、登山目的ではない者も加わり、夏実たちの救助活動は困難さを増していく。

 それぞれの思惑や目的、あるいは使命を持った者たちが新羅山という《火竜の山》に集まる。そして迫り来るカタストロフを前に、二人のヒロインが《相棒》とともに死力を奮って任務を全うする。夏実と静奈、そしてメイとバロン。死の恐怖に晒されながら、互いを信じ互いを助けあう二人と二頭の活躍に、胸を打たれない者はいないだろう。

 樋口明雄の山岳冒険小説に間違いはない。本書はその言葉をあらためて実証する作品なのである。

新潮社 波
2016年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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