捕食者と腐食者のリサイクリング

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生から死へ、死から生へ

『生から死へ、死から生へ』

著者
ベルンド・ハインリッチ [著]/桃木暁子 [訳]
出版社
化学同人
ISBN
9784759818222
発売日
2016/08/20
価格
2,530円(税込)

捕食者と腐食者のリサイクリング

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 安岡章太郎の『海辺の光景』は、高知の病院に入院中の母親を見送る話だ。その母親が最期を迎えたとき、海辺ではふだん水中に没して見えない棒杭が、高々と空中に現れていたという。つまり潮の引く干潮時に母親は亡くなったのだ。昔から人は満潮時に生まれ、干潮時に死んでゆくといわれる。なぜ、干潮時に死を迎えるのか。アメリカの生態学者による「動物の死をめぐるナチュラルヒストリー」(帯)たる本書を読むなら、以下のように説明されるかもしれない。

 大半の動物がまだ海や渚に住んでいた太古、引き潮に乗って「なきがら」が沖に運ばれるのは、仲間の生き物たちの新しい養分になるという点で自然の摂理に合致する。というのもなきがらが満ち潮に乗って、まだ動物の少ない陸地に着くようなことがあれば、無駄になる可能性が大だからだ。そんな摂理が「人は干潮時に亡くなる」という生理として痕跡的に残ったとしても不思議ではない。

 本書ではじつに多くの動物たち(植物も)の死が克明に観察される。いくら研究のためとはいえ、罠にかかったマウス、交通事故死したリスやシカ、病死したと思われるムースなどの死体の変化する様子を、その場や持ち帰った庭先で、猛烈な臭いをかぎながら逐一観察するのは、並みの努力でできることではない。腐肉を裏返し、逃げる虫の数を確認したりするのだ。それらは哺乳類(コヨーテ)、鳥類(ワタリガラス、コンドル)、昆虫(シデムシ、ハエ)らによって処理され、驚くほど早く骨になるのが普通だった。しかも観察の旅は世界中に及ぶ。

 一言でいうなら、あらゆる動物は相手を殺す捕食者か、死んだ動物を狙う腐食者(スカベンジャー)に食べられることで、次の新しい生命を養う。その捕食者・腐食者はさらに次の、次の……という途切れないリサイクリングの流れこそ、生命のあるべき姿。その際、人間は微妙な位置にあることが自戒をこめて指摘される。一つはホモ・エレクトゥス以来、人間はリクガメやマンモスをはじめ多くの動物を絶滅させ、今また農業・牧畜の害になる生物の一斉駆除を通じ、生命循環の流れを阻害していること。もう一つは、現行の火葬・埋葬文化も、死後処理に他動物の参加を拒絶する点で、やはりリサイクリングの断絶だと。この二点には厳しい再考が求められる。

 驚くような新説も紹介される。ガやチョウなど一部の昆虫では、幼虫と成虫の間にサナギ段階がある。腸などの内臓はどろどろに溶け、活動はきわめて不活発になる。その後、まるで別の生物としか思えない成虫に生まれ変わるが、この変態こそ幼虫である生物が一度死に、その素材を利用して新しい生物が生まれ出たことの個体発生的な再現であるという。近年有力になりつつある説らしい。

新潮社 新潮45
2016年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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