【自著を語る】佐野眞一『唐牛伝 敗者の戦後漂流』

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唐牛伝 敗者の戦後漂流

『唐牛伝 敗者の戦後漂流』

著者
佐野 眞一 [著]
出版社
小学館
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784093897679
発売日
2016/07/27
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【自著を語る】佐野眞一『唐牛(かろうじ)伝 敗者の戦後漂流』

[レビュアー] 佐野眞一(ノンフィクション作家)

六〇年安保のカリスマの「教養」と「覚悟」

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 人間は(弱い存在だから)「組織」を作らざるを得ない動物である。しかし、「組織」が「人間」を作ることは絶対にない。これが、私が長年ノンフィクションを書いてきて獲得した最大の遺産である。

 ブント(共産主義者同盟)全学連委員長の唐牛健太郎は日米安保改定を強行採決しようとした岸信介と正面切って闘ったが、ある意味でそれ以上に日本共産党(日共)に敵対した。

 唐牛らは、過去に組織防衛のための査問やリンチを行ってきた日共が、革命運動を裏切ることを最初からわかっていたのである。

 私がブントを褒めても褒めたりないと思うのは、彼らの組織からは内ゲバの死者が一人も出なかったことである。ブントより一回り下の世代の私は、完全に内ゲバの世代である。

 その嫌な思い出も本書に書いたが、私が学生運動をやめたのは、人に殺されるのはしかたないかもしれないが、人を殺すのはまっぴらごめんだと思ったからである。

 六〇年安保闘争といえば、いまから半世紀以上も前の出来事である。それをいま振り返ることにどんな意味があるのか。そう問う読者もいるかもしれない。

 そんな愚問を発する人間とは本当は口をきく気にもなれないが、一言だけ言っておけば、私が十三歳のとき起きた安保闘争によって、日本の戦後の針路は決まった。

 六〇年安保闘争は敗北で終わった。安保闘争に参加した多くの学生は、その直後に到来した「高度経済成長」の甘い果実を貪った。その上、定年後は年金を潤沢にもらっているくせに、高齢化を迎えたいま、なぜか人生を完全燃焼したという思いがないのではないか。

 海産物商と函館芸者の間の非嫡出子として生まれ、北大から二十一歳でいやいや全学連委員長となった唐牛は、そんな“美味しい人生”を送れるような男ではなかった。

 彼は6・15国会突入事件で圧死した東大生の樺美智子の死を自分の罪として生涯悔やみ通し、多くの学生を逮捕させ人生を誤らせた責任は自分にあると悩み抜いた。そして、学生運動を離れてからは「人の上」に立つ「長」という職業に一切就かなかった。

 安保闘争では“昭和の妖怪”といわれた岸信介と新旧世代を代表する両雄として対峙した唐牛は、安保後、山口組三代目組長の田岡一雄や、“最後の黒幕”といわれた田中清玄の寵愛を受けた。

 その後、唐牛は『太平洋ひとりぼっち』の堀江謙一とヨットスクールを開設し、新橋の路地裏に居酒屋をオープンした。そのあげくの果てにオホーツク海沿いの紋別でトド撃ち漁師を約十年つとめた。

 そればかりか、全学連の金銭問題を追及した「ゆがんだ青春」問題で窮地に立たされたときは、“思想界の巨人”の吉本隆明と共闘した。そして晩年は、医療改革問題に命を懸けた徳洲会創業者の徳田虎雄の片腕となった。

 唐牛の生き方は一見、破天荒な一匹狼に見えるが、その内実はナイーブで知性的な男だった。唐牛の盟友の西部邁は唐牛を「無頼になり切るには知的にすぎ、知的になり切るには無頼にすぎるという二律背反に挟撃されていた」と称したが、けだし名言である。

 とりわけ、反知性主義とポピュリズムが横行するいまの世の中を見渡したとき、「敗者」として日本中を漂流し、四十七歳の若さで他界した唐牛の生き方は、なおさらすがすがしくみえる。

 政治家のスキャンダルにせよ、芸能人のどうでもいい不倫問題にせよ、いま日本にはもっともらしい言説ばかりが罷り通っている。彼らの言説には、およそ「教養」と「覚悟」つまり、“歴史的等高線”というものがない。

 六〇年安保後、日本は驚異的な経済発展を遂げた。しかし、それは安保から十年後の一九七〇年に日本の「大衆社会」の到来に絶望して自刃した三島由紀夫の絶望世界に通じる。唐牛らは三島が自刃する十年前に、いまの日本社会に通底する息苦しい状況にほんの小さな風穴を開けた。私にはそう思われてならない。唐牛健太郎は、私自身にもわからない自分の心のどこかで、きっといまもあの人懐こい笑顔で生きている。

小学館 本の窓
2016年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

小学館

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