「謎」が解かれれば終わりではない――「北村薫ミステリ」の醍醐味

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遠い唇

『遠い唇』

著者
北村 薫 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041047620
発売日
2016/09/30
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

謎が解かれた後に北村ミステリの醍醐味

[レビュアー] 間室道子(代官山 蔦屋書店)

 絶えず思い出す人、しょっちゅう考えていることよりも、ふいに訪ねてきた人、ふと浮かんだ記憶の方が、いとおしかったりする。『遠い唇』にはそんなお話がいくつか入っている。

 登場人物たちの心に浮上してくるのは、昔解けなかった日常の小さな謎だ。表題作の主人公は大学の先生。学生時代にミステリのサークルの先輩女子から届いた葉書に、暗号めいたアルファベットが書かれていたことをある日思い出す。第二話「しりとり」で夫との奇妙な思い出を語るのは女性編集者。作家と和菓子を食べながらおしゃべりしていて、亡き夫が病室で、和菓子店の包み紙の裏に俳句のようなものを書いてにやにやしていたことを話す。

 これらが「サークルの存続にかかわる暗号!」とか「夫の隠し財産のありかを示すメッセージ!」とかなら、登場人物たちは悶々と考え続け、しゃかりきになって解こうとしただろう。だが彼らはそれを忘れた。姉のように慕っていた先輩や仲良しだった夫がもういない、ということが、彼らの心から小さな謎を遠ざけたのだと思う。

 だがどんなに遠くに置かれていても、謎は必ず戻ってくる。そして答えにたどりつけた時、登場人物たちに訪れるのは喜びばかりではない。謎は解けなかった時と同じく解けた時も、登場人物たちを少しだけ悲しくさせる。

「もっと早く答えが出せたら」という後悔とはちょっと違う。たとえば「しりとり」の俳句に込められた謎を妻がたちまち解き「さあ第二問は!?」などと言ったら興ざめだろう。夫のにやにやは、自分はもう長くはないが、妻の心に時限爆弾を仕掛けてやった、という満足ではないか。小さな爆弾は妻が五十を過ぎ、担当作家と信頼を築いて、亡くした人の残した不思議をしゃべることができる関係になって、はじけた。解けた、は自分に対する喜び。切なさは、時間がたってもこみあげる相手への恋しさなのだ。

 ほかに、宇宙人が名作本を手に入れ、地球人の生態にキテレツな予測をするコミカルなお話「解釈」あり、電話が生む事件「ゴースト」あり、あの江戸川乱歩の「二銭銅貨」へのオマージュ「新・二銭銅貨」あり。バラエティに富んでいるが、「放たれた言葉や思いはツーカーでは伝わらない」で一致していると思う。

 異色なのは、一九九〇年代に書かれた『冬のオペラ』の姫宮あゆみと巫弓彦が再登場する「ビスケット」だろう。『遠い唇』のラストに収められたこの作品の「ツーカーでは伝わらないもの」はダイイングメッセージだ。

 あれから十八年、作家となったあゆみがトークショーのため出向いた大学で、殺人事件が起きる。彼女からの電話で事件のあらまし、そして被害者の指が示す謎を知った名探偵・巫は、あゆみにあることを尋ねる。調べておくと約束した彼女はその後、読者の誰もが「うわー」と思ってしまうであろう方法で、巫の問いを超えて、事件の犯人に行きついてしまうのである─謎が推理なしで、一足飛びに答えと結ばれた!?

 これはもう、いたしかたないのかもしれない。現代が舞台の話であゆみがこの行動をとらなかったら不自然だ。ただ、謎は解かれれば終わりではない。ミステリで大切なのは、真相にたどりつく以上に、謎を看取ることだと思う。解説っぽい展開なんかじゃなく、北村作品に出てくる人たちは、考え抜かれた言葉で、結末に寄り添う。そして謎を発した人物の思惑や本性以上に知るのだ、自分がなんと遠くに来てしまったかを、どれほど孤独だったかを。

 宇宙人たちのとんちんかんも、「地球人は、自分たちと友好関係を結べるか」から始まっているのだ。謎=ミステリに向かうって、愛する人や信じたい人の、見えていない部分に手を伸ばすことなんじゃないかと思う。ラストの数行で、謎と答えと登場人物と読者が、「溶けるような一体感」を味わう。これが、北村ミステリの醍醐味だ。

KADOKAWA 本の旅人
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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