短編の名手・長岡弘樹の新たな到達点
[レビュアー] 大矢博子(書評家)
病院を舞台にしたミステリ短編集である。だが、ミステリだと思って本書を読み始めると、はじめは戸惑うかもしれない。なぜなら、ミステリには必ずあるはずの大事なものが、本書の収録作には存在しないのだから。
それは〈謎〉だ。
たとえば「最後の良薬」は、内科医として病院に勤務する主人公が、癌患者の緩和ケアを担当させられる話である。「涙の成分比」は、バレーボール選手が車を運転中にトンネルの落盤事故に遭い、同乗していた医者である姉によって命を救われるが、選手としては再起不能の怪我を負う話。
うつ状態になった新人に先輩の医者がアドバイスを試みる「ステップ・バイ・ステップ」や、次期センター長を巡ってのライバル関係にあるふたりの医者の話「彼岸の坂道」などなど、こうして簡単な粗筋を書いただけでも、そこに〈解かれるべき謎〉が見当たらないことに気づくだろう。
扱いの難しい終末期の患者に医者がどう対応するのか、選手生命を絶たれたアスリートがその事実にどう向き合うのか、こんな方法で本当にうつが治るのか、ライバルに勝てるのか……読者はそういったところに注目して読み進めることになる。
ところが、物語は終盤でがらりとその形を変える。予想だにしない唐突な展開が一度、二度と訪れ、読者が注目して読んでいた筋とはまったく異なる場所に着地してみせるのである。こういう話だったのか、これがやりたかったのか。読者は驚き、それからあることに気づいて愕然とするに違いない。ごく日常的な風景描写に見えたあの場面も、なにげない普通の世間話だと思っていたあのセリフも、すべて伏線だったんだ、と。
最後に明かされる意外な〈真相〉を読み、実はすべてヒントが出ていたことに気づいて、そこで初めて読者は、この物語がミステリだったことを知るのである。なんとひねくれた、そしてなんと鮮やかな趣向であることか!
ここで、〈謎〉は存在しないと書いた自分の発言を修正させていただく。
見た目にわかりやすい〈謎〉は、確かに存在しない。けれど長岡弘樹の場合、〈背後に何が隠されているのか〉という大きな謎が全編に仕掛けられていると考えればいい。その大きな謎に向けて、著者は徹底したフェアプレイで見事な伏線を張り巡らせる。その上で二転、三転させてくるのだ。
それを短編でやってくるのだからたまらない。この切れ味の鋭さといったら! 物語のタイプは違うが、伏線の妙と一度では済まないそのひっくり返しの鮮やかさに、私はジェフリィ・ディーヴァーを連想した。
だが、本書は決して仕掛けだけの短編集ではない、ということは声を大にして言っておこう。
本書のタイトル『白衣の嘘』は収録作のタイトルではない。この短編集につけられた総題である。この題が示すように、どの話でも、嘘をつく医者が登場する。
それぞれの作品に出てくる嘘が、何のためなのかに注目していただきたい。
悪事を隠すための嘘もある。保身のための嘘もある。自分をごまかすための嘘もある。真実をわかってほしいがゆえの悲鳴のような嘘もある。けれど最大の読みどころは、医者たちのつく〈優しい嘘〉だ。
誰かのために、誰かを思って、彼らは嘘をつく。あるいは隠し事をする。人の生き死にに直面する現場だからこそ、その嘘の持つ意味は大きい。
何が嘘で、その目的が何だったか。それがわかったとき、物語は趣向を凝らしたミステリになると同時に、人生の機微と人間模様の綾を見事に紡ぎ出した、感動の物語に変貌する。ミステリのサプライズと、人間ドラマの感動が、同時に押し寄せる。
これが長岡弘樹なのだ。
どうか、そのテクニックとドラマの両方に、存分に酔っていただきたい。短編の名手・長岡弘樹の、新たな到達点である。