『小説 長塚節 白き瓶』
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『白き瓶』
[レビュアー] 渡部昇一(上智大学名誉教授)
藤沢周平と言えば庄内藩の地理を頭に置いた海坂(うなさか)藩物を中心にした時代小説で有名であり彼の広い読者層もそこにあると思われる。しかし彼は俳句からはじまって本当の詩人的感受性を養って行った人ではないかと思われる。
それは俳人・一茶をはじめとして、北斎や歌麿などを扱った伝記物によく現われている。その中でも本書は長塚節(たかし)という歌人にして地味な小説家についての詳細な伝記である。これが第20回(昭和61年度)吉川英治文学賞を与えられた時、選考委員の一人から「資料の豊かさと検証のきびしさ正しさが力余って、小説としての伸びに問題が生じてもいよう」という主旨の批評があったと伝えられるがそれももっともである。しかしさすがに一流の小説家だけあって読ませるのである。おそらく専門の近代日本文学者でもこれほど詳しく長塚節の生活について述べることは難しいであろう。そうした学術的考証を、ソファに座りながら読んで楽しめる小説にしてくれた藤沢周平の才能に敬意を表したい。
われわれは先ず子規なき後の根岸派の歌人たちの動きを、どんな近代国文学史の本よりも、具体的に、かつ生々しく知らされる。長塚節と伊藤左千夫の関係などそれ自体何編もの短い私小説になるであろう。
注目すべきことは、古い殻を破った長塚節の和歌を最初に高く評価したのが若い大学出の斎藤茂吉であったということである。また三井甲之(こうし)と言えば、私などはその愛国的な歌を通じて知るだけであったが、この作品では彼の別の面も描かれている。
そのうち節は小説も書くようになる。そして高浜虚子などに好評を与えられるというようなことから夏目漱石やその関係者とも知り合うようになる。漱石とその周辺の人たちは、都会人であり、近代の西洋の学芸に触れてきている人たちであるから、かえって節の書く泥くさい、純粋に旧日本の農村をテーマにしたのが新鮮だったのであろう。彼の「土」は朝日新聞に掲載され不評であったが、池辺三山に救われ漱石に評価された。結核に苦しんだ節の生涯に、同じ病気で苦しんだ周平は理解が行きとどいたのだろう。