文月悠光は『屋根裏の仏さま』を読んで「わたしたち」が捨てざるを得なかった「仏さま」を想う

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文月悠光は『屋根裏の仏さま』を読んで「わたしたち」が捨てざるを得なかった「仏さま」を想う

[レビュアー] 文月悠光(詩人)

文月悠光

 大学二年の春、何気なく登録した英語の授業で、日系人の強制収容の歴史を知った。第二次世界大戦中、十二万人以上の罪のない日系アメリカ人が、強制収容所に送られた。授業は、その強制収容に関する文献や、映像資料を鑑賞するものだった。
 一九四一年の真珠湾攻撃を機に、アメリカ政府は、日系人を「敵性外国人」とみなし、強制立ち退きを命じた。日系人は、砂漠や沼地に置かれた強制収容所に隔離された。財産のすべてを奪われ、終戦まで自由のない生活を強いられたという。
 だが強制収容に関するデータを見ても、当時の私はピンとこなかった。そもそも、なぜ彼らやその親世代は、日本を離れ、移民として生きる運命を背負ったのだろう。
 本書は、二〇世紀初頭に「写真花嫁」としてアメリカへ渡った日本女性たちの物語だ。「写真花嫁」とは、いわば海を越えた見合い結婚。十九世紀後半、日本からアメリカへの移民は、大半が肉体労働に従事する独身男性だった。結婚を望む彼らは、日本の親族に自分の写真と履歴を託し、花嫁候補を探してもらう。そうして縁談が成立すると、花嫁は船でアメリカの夫のもとへ向かうのだ。
 しかし、初めて顔を合わせる夫は、写真とは殆ど別人だった。それもそのはず。写真は二十年前のもの、履歴も偽られていた。帰国費用など持ち合わせない女性たちは、そのまま泣く泣く夫婦関係を結ぶ。昼は過酷な畑仕事、夜は夫の相手。子どもを出産した翌日には、赤ん坊をおぶって畑に出た。だが、苦労の末に得た平穏な生活は、強制収容政策によって、もろくも崩れ去る。
 本書は、そうした女性たちの声を「わたしたち」という一人称複数形で綴っている。核となる語り手は存在せず、一文ずつ様々な「わたし」が登場する。第三章では、雇い主である白人たちを〈彼ら〉と呼ぶ。〈わたしたちのひとりは、全部彼らのせいだと言って、死んでしまえと願った。別のひとりは、全部彼らのせいだと言って、死んでしまいたいと願った〉〈仏さまを忘れた。神さまを忘れた。心に冷たさが宿り、今もそれは溶けていない。わたしの魂は死んでしまったのか〉。
 母語を奪われ、女性として、日本人として二重の差別に耐えた彼女たち。中には夫を激しく罵る者、寂しさから別の男性と関係を持つ者もいた。「花嫁」以前に、反抗心や欲望を持つ一人の「人間」だった。本書は、女性の「美談」を描くものではない。当事者の実像を「わたしたち」として多面的に浮かび上がらせる。本人の肉声を届けるように、生きることの痛みと、人間らしい気高さを伝えてくれる。
 タイトルにある「仏さま」とは、日系移民が捨てざるを得なかった故国の文化の象徴だという。多様な生き方が認められた現代だからこそ、人は自分の選択に迷ってしまう。そのとき、歴史は大きなヒントを与えてくれるだろう。戦後七十年が経ち、国への信頼、歴史感覚を失いかけている今、「わたしたち」も心の奥底にしまわれた「仏さま」を掘り起こしてみたい。

 ***

『屋根裏の仏さま』
100年程前、写真だけの見合いでアメリカに嫁いでいった日本の娘たちの多くは、辛い生活を強いられていた。そして、日米開戦とともに、彼女たちは日系人収容所に送られる……。新潮クレスト・ブックス。1836円

太田出版 ケトル
VOL.31 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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