橋爪大三郎はウィトゲンシュタイン『秘密の日記』が誰にでも手に取れるかたちで世に出たことを喜ぶ

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橋爪大三郎はウィトゲンシュタイン『秘密の日記』が誰にでも手に取れるかたちで世に出たことを喜ぶ

[レビュアー] 橋爪大三郎(社会学者)

橋爪大三郎

 ウィトゲンシュタインの日記。第一次世界大戦下の三冊が幸運にも残っていた。『論理哲学論考』を書きあぐね、ノートの反対側に暗号で走り書き。その画像は公開されているが、英訳は未出版。今回の日本語訳が世界初の完全版だ。
《恐らく死ぬのだろう。神が…ともにいますように!》(1916年5月16日)魂の叫びである。反対側(『草稿一九一四─一九一六』)の日付と照合すると、彼の思索が立体的に浮かび上がる。
 オーストリア軍に志願したウィトゲンシュタインは、東部戦線の砲兵連隊に配属された。危険な監視所の任務につき、伍長から士官候補生に昇進、勇敢勲章を三つも受けたが、部隊はほぼ壊滅。生還したのが奇蹟である。同じ伍長で西部戦線から復員した高校の同級ヒトラーは、後年ウィトゲンシュタインらユダヤ人に牙をむくことになる。
 粗野な兵士どもへの憤り、家族や親友ピンセントへの想い、自殺念慮と罪責感、戦場の恐怖、より善い人間たらんとする決意。日々の肉欲から自慰の回数まで、あけすけな表白が頁を埋める。そして毎日のように《ほとんど仕事をしなかった》《相当たくさん仕事をした》と、『論考』の進捗をメモ書きしている。
 日記を満たすのは深い宗教的感情だ。トルストイの『要約福音書』を、戦場で肌身離さなかった。死と隣り合わせの極限状況で、彼は何を思ったのか。福音書はイエスの伝記だが、トルストイの要約はそこから復活を省いている。歴史的イエスを人間とみる合理主義である。《エマソンの『エッセイ集』を読む》(1914年11月13日)とも日記にある。ウィトゲンシュタインの信仰は察するに、ユニテリアンに近いようだ。

 一九一六年六月、ロシア軍は「ブルシーロフ攻勢」に出た。両軍で一五○万人が戦死し、ウィトゲンシュタインは心底から衝撃を受ける。これを機に、前半の論理学と六・四以下の宗教的論述とが一体に融合した『論考』の骨格ができた。その経緯を追った星川啓慈、石神郁馬両氏の解説「戦場のウィトゲンシュタイン」は、丁寧で説得的だ。
『論考』はゆえに、成立する出来事の全体が世界で、言葉はそれに対応する限り意味をもつ、とする。世界の中に神はいない。《神を信じるとは、生が意味を持つことを見てとること…。…死は世界の事実ではない。…幸福に生きるためには、私は世界と一致せねばならない。…この時、私は…あの見知らぬ意志と…一致している。これが「私は神の意志を行なう」と》いうことだ(二五七~八頁)
 兄たちが次々に自殺、すぐ上の兄パウルは戦場で腕を失い、親友のピンセントも事故で死んだ。人間が生まれるのも死ぬのも神のわざ。戦場で彼は、人間を超えた神の前で生きる、倫理的な重みを心に刻んだのではないか。
『論考』は、第一次世界大戦の苛烈な体験からこそ生まれた書物だ、と私は『はじめての言語ゲーム』(講談社現代新書)でのべた。それを深く裏付ける新資料が、誰にでも手にとれるかたちで登場したことを喜びたい。

 ***

『ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」: 第一次世界大戦と「論理哲学論考」』
西洋哲学史において最重要書物の一つである『論理哲学論考』を著したウィトゲンシュタインが、哲学的アイデアとともに書き溜めていた第一次世界大戦への恐怖や実生活……。偉大な哲学者が遺した秘密の日記を、世界初の完全版で刊行。丸山空大訳、星川啓慈・石神郁馬解説。春秋社。3024円

太田出版 ケトル
VOL.31 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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