平川克美は『濹東綺譚』に荷風が描き出した、滅びゆくものとしての人間を見る

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濹東綺譚

『濹東綺譚』

著者
永井, 荷風, 1879-1959
出版社
岩波書店
ISBN
9784003104156
価格
286円(税込)

書籍情報:openBD

平川克美は『濹東綺譚』に荷風が描き出した、滅びゆくものとしての人間を見る

[レビュアー] 平川克美(実業家/文筆家/ラジオ・パーソナリティ)

平川克美

 自分が経営している喫茶店「隣町珈琲」で、若い人たちと文学の話をすることがある。そもそも、そんな空間が欲しくて、喫茶店を作ったので、願ったり叶ったりだ。ときおり「何を読んだらいいですか」という質問が飛んでくるが、私は即座に答えられるほど、系統的に読んでいるわけではない。だから、自分の好みで、こういうのがあるよということだけを伝えるようにしている。
 先日は、マスターのK君が、昔の小説を読みたいのだが、お勧めは何かと聞かれた。まあ、昔と言っても、戦前なのか、戦後の高度経済成長期なのか、それとも、1​9​6​4年のオリンピック当たりの時代も、すでに昔ということなのか、判然とはしない。
 若い人たちにとって、昭和はすでに昔なのかもしれない。
 戦前に限定すれば、翼賛的な小説を書かずに孤高を貫いた作家は多くはない。
 そのひとりは谷崎潤一郎だろう。『細雪』は、いかなる反戦的な言葉も使われてはいないが、反時代的ということで軍部から連載を差し止められた小説である。そこに描かれていたのは、何でもない日常であり、その日常が緩やかに崩壊してゆく様の中に哀感が滲む。滅びの美学とでも言おうか。
 そして「滅びの美」といえば、荷風散人こと、永井荷風が頭に浮かぶ。
 さきの、K君の質問に私は、思わずこう答えた。
 「荷風を読んでみたらいい。やはり、濹東綺譚かな」
 「それって、どんな話なんですか」という反応に、私はちょっと答えに窮してしまった。『濹東綺譚』には、奇妙な形式が短い文章の中に詰まっており、一言で説明できない。荷風の分身と思しき五十代後半の小説家が、私娼窟玉ノ井の娼婦である二十六歳のお雪と出会い交情を重ねる。その出会いと別れが、抑制の効いたタッチで描き出される。小説の中には、もう一つの小説が、腹籠りの仏像のように納められている。『失踪』という作者構想中の、作品である。さらに、この小説には、本筋と直接は関係のない「作者贅言」が附されており、畏友の校正者の思い出や、変わりゆく世相への慨嘆が語られる。
 短いが、複雑な構造を内包した小説になっている。
 この小説が、何故『濹東綺譚』なのか。何故、荷風は、批評が埋め込まれているような小説を書いたのか。
 いや、そんな理屈は荷風には似合わないだろう。ただ味読し、ただその音を聞けばよいというように、書かれているはずだ。最後の一行まで読んで、私はなんだか泣きたいような気持になった。
 「晴れわたった今日の天気に、わたくしはかの人々の墓を掃いに行こう。落葉はわたくしの庭と同じように、かの人々の墓をも埋(うず)めつくしているのであろう。」
 この作品は豊田四郎と、新藤兼人の二人の監督によって映画化されている。豊田版は残念ながら未見だが、新藤版を観て、失望を禁じえなかった。映画が悪いのではない。荷風の描き出した世界は、映画で描き出すことは不可能なのかもしれない。他に移しえない作品を荷風は書いた。

 ***

『濹東綺譚』
1937年に、『朝日新聞』で連載された小説。作中に登場する「玉の井」は、現在の東京・墨田区内にあった私娼街で、東武スカイツリーライン・東向島駅はかつて「玉の井駅」という名称であった。岩波文庫。540円

太田出版 ケトル
VOL.32 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

太田出版

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