お遍路の道中、退職刑事が女児殺害事件の真相を推理する

レビュー

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慈雨

『慈雨』

著者
柚月, 裕子
出版社
集英社
ISBN
9784087716702
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

お遍路の道中、退職刑事が女児殺害事件の真相を推理する

[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)

 退職した元刑事が、現役の刑事から相談を受け、現場に行かず、情報だけを頼りに真相を推理する―ミステリの世界では、こういう“安楽椅子探偵もの”は珍しくない。都筑道夫の『退職刑事』シリーズがその代表。しかし、退職刑事が四国八十八ヵ所を巡りながら、はるか遠くで起きた事件の謎を解くという趣向は、さすがに本書が初めてだろう。さしずめ、お遍路探偵か。

 主役の神場智則は60歳。高校卒業後すぐ警察官になり、前橋の交番勤務を振り出しに、この道ひと筋42年。後半の26年間は刑事として過ごし、群馬県警捜査一課強行犯係主任(階級は警部補)まで務めて、3月に退職したばかり。その彼が今も忘れられないのが、16年前の1998年に起きた6歳女児殺害事件。体液のDNA鑑定結果が決め手となって容疑者が逮捕され、懲役20年の判決が確定した。だが、ある理由から、神場は、真犯人が別にいたのではという疑いを捨てきれず、それが警察官人生42年の最大の後悔になっていた。

 そして、退職した神場が、妻の香代子とお遍路の旅に出た矢先、行方不明だった小学1年生女児の遺体が群馬県の山中で見つかったことが報じられる。16年前の現場と距離が近く、事件の経過もよく似ている。もしや同一犯では? だとすれば、過去の事件は冤罪だったことになる。

 深い罪悪感に突き動かされ、神場はかつての部下である緒方に旅先から連絡をとる。旧知の捜査一課長の了解のもと、緒方から逐次情報を流してもらい、非公式のオブザーバーとして捜査に協力することに。

 金剛杖をついて札所を回り朱印をもらう旅の間に、神場は幼少期からの人生を思い返し、過去を少しずつ解きほぐしてゆく。駐在時代に結ばれた妻との関係、娘を持つに至った経緯、長い警察官生活で遭遇したさまざまな事件……。

 もちろん、最大の焦点は、16年の時を隔てた二つの女児殺害事件。もし同一犯だとしたら、なぜ16年も間が空いたのか? 今回の事件で目撃された不審車はなぜ忽然と消えたのか? 巡礼の旅で遭遇した人々や出来事をヒントに神場が仮説を思いつき、その推理が緒方を通じて捜査を動かしてゆく。

 自分が関わった事件がもし冤罪だったとしたら。自分の努力でそれを防げていたとしたら……。おそらく現実の足利事件を下敷きにしながら、『慈雨』は、元刑事の贖罪の旅と推理を絶妙の筆致で重ね合わせる。中高年にはとくに胸に沁みる一冊。

新潮社 週刊新潮
2016年11月17日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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