読解不能の隘路を抜けて小説の新しい次元を開く1冊
[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)
体が思うように動かない。石のように重いと思えば、風のように軽くなる。心がコントロールできない。様々な情景が流れていき、他人の言葉や思考が頭に入ってくる。『幸福な絶望』『家族の哲学』といった作品のおかげで、躁鬱を抱えた坂口の現実は身近になった。しかし『現実宿り』を読むと、それらの記述が読者にわかりやすく翻訳されたものだったとわかる。本書で生のまま投げ出された記述は、時に読解不能でありながら心地よい。
もちろん手がかりになる物語は存在する。ほぼ著者だろう主人公のもとに電話がかかってくる。そして見ず知らずのモンゴル人青年モルンはこう告げる。実はあなたは私の本当の兄だ。一族も待っている。だからモンゴルに来てほしい。その奇妙な言葉に惹き付けられるまま、主人公はモンゴルの平原に行き、土の中に埋まり、土の甘さを味わい、無機物としての自分を感じとれるようになる。そして、今までも数多くの生を生きてきたこと、自分は蜘蛛や鳥や砂粒にもなれることに気づく。
彼の気づきに対応するように、作品の視点は目まぐるしく変わる。単数が複数になり、他者と自己は入れ替わる。一つの身体の中にも数多くの主体があり、しかも自他の境界線も消えてしまうのなら、近代小説の枠組みなど崩れ去るしかない。代わりに出現するのは、かつてバロウズが『裸のランチ』を書きながら語ったように、目の前に流れる光景を、そして五感や身体の内側の感覚を記述するという作業でしかないだろう。
物語に毒された我々には不可能なほど、坂口は精密に見る。感じる。本作を読みながら、読者の感覚もまた開かれていく。「うすい青色をしたきれいなインクだ。そのインクで書くと、書いた文字と触れ合って、音楽が流れた」。こうした文章を前にして、読者の耳にもインクの音が響く。読む者を感覚の冒険に誘う本書は、小説の新しい次元を開いている。