『幻影たちの哀哭』
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ピザと、外見と内面――『幻影たちの哀哭』刊行エッセイ 直原冬明
[レビュアー] 直原冬明
この歳になって、新しい趣味ができた。
観劇である。
映画やテレビで活躍している俳優たちが出演する大きなホールにかけられる演劇を見にいくのではない。百人も入れば満席になってしまう小さな劇場にここのところ、足繁く通っているのだ。
その小さな舞台に立つ俳優たちを映画のスクリーンやテレビで見ることは、ほとんどない。しかし、彼らの演技がテレビ・ドラマで人気の俳優たちに劣っているとは思わない。その彼らが稽古を重ねてブラッシュ・アップした演技を手が届きそうなほどの間近で見ることができる。なんとも贅沢な時間である。
自宅で見るよりも映画館で見るほうが映画の記憶が強く残るとよく言われる。スクリーンの大きさも影響していると思うが、なにより、映画館への往復という前後の行動の記憶が映画自体の記憶の補助となっているのではないかと思う。
その点、観劇だと、事前の予約、自分のスケジュールの調整、いい席を確保するための開場前の行列と、記憶の補助がさらに増えるせいなのか、様々なシーンが脳裏に克明に焼き付いている。
なにより、わたしの場合、大阪で観劇することが多く、岡山から行くとなると、一日がかり、時には一泊することになり、記憶はさらに鮮明になる。
そこまでして見にいくだけに、なにかを得ようとする気持ちは少なからずある。
そして、実際、劇場を出たときには、創作のアイデアがいくつも頭のなかで発芽している。
この度、刊行されることになった『幻影たちの哀哭』には、実は、観劇から得たアイデアがいくつも反映されている。
劇団ガバメンツの『木曜ドラマ PERHAPS警部パハップス(全一〇回)』(作・演出・早川康介)、まるでテレビ・ドラマのようなタイトルのこの舞台からも、強く影響を受けている。
種明かしになってしまうので詳しく書くことは控えるが、劇中、やけ食いをしようとデリバリーのピザを注文する登場人物の「ハーフ・アンド・ハーフをMで……やっぱりLで」という、たったひとつの台詞を何度も噛みしめているうちに、この台詞がわたしになにを与えたかに気づいた。そして、そこから、本作の構成の柱となるアイデアが生まれた。
また、夫の長期出張中に無断で美容整形手術を施した妻、そのことに腹を立てていびつな反攻に走り自身の顔を「中の下」に整形した夫、顔を変えた夫婦の「見た目」を巡る短編議論劇、演劇ユニットiakuの『仮面夫婦の鏡』(作・演出・横山拓也)のエッセンス、「外見と内面」が本作の根底には流れている。
帝国海軍内で対立するふたつの組織、それぞれの外見と内面。
東洋人と西洋人の外見と内面。
主人公ではないものの、本作で重要な役どころになっている女性の外見と内面。
かつて、江戸川乱歩賞の選評で、人への関心が低いと指摘されたわたしにとって、このコントラストは、人物を描く大きな武器になったように思う。
もし、拙作『幻影たちの哀哭』を手にする機会があれば、是非とも、これらのことを思い出してください。さらに面白く読むことができると確信しています。