『それでも、産みたい』
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東尾理子 切実な実体験だからこそ
[レビュアー] 東尾理子(プロゴルファー)
私は二〇一二年に三十六歳で長男を、一六年に四十歳で長女を、いずれも体外受精で出産しました。もともと子供が欲しいと結婚前から希望していたので、〇九年に結婚してすぐ、いわゆる「妊活」を始めたのですが、当初は「妊活」という言葉自体も知らなかったくらいで、そもそも不妊治療にどんな方法があるのかさえ、知りませんでした。
著者の小林さんと同じで私も、夫婦共に検査の結果に問題はなく、不妊の原因は不明。実はこの「不明」というのが、治療しようにも対処の仕方に正解がないわけで、治療を進めていく上で一番厄介なんです。それに、小林さんもそうでしたが、「もしかしたらそのうち自然にできるかもしれない」なんて希望を残してしまうから、余計に体外受精のような高度な治療に踏み出せなかったりもする。私の場合は、自分が三十代半ば、夫が五十代後半だったこともあって体外受精にためらいはなかったのですが、体外受精には、薬の副作用、高額な治療費、頻繁に通院するための時間のやりくり、夫婦間の意見の相違、精神的なストレス、妊娠しなかった時のやめどき……と、様々な不安や心配がつきまといます。その上、小林さんが十年以上迷ったように、「命を創り出してしまうこと」への躊躇など、倫理的な問題も関わってきて……。
そんな葛藤の日々を小林さんは、丁寧に、そして正直に描いています。柔らかな漫画のタッチからは、例えば登場人物の表情ひとつとっても、言葉以上のものが伝わってきて、今まさにそのような悩みを抱えている人にとって参考になることはもちろん、そっと寄り添ってくれる内容でもあると思いました。個人的には、命の尊さを改めて感じて、叱ってばかりでなく二人の子供にもっと優しくしなくちゃ……と反省もしたり(笑)。
また、こんなふうに体外受精の実体験がオープンにされることは、日本社会にとって非常に良いことだとも思いました。私は「不妊治療」という表現、特に「不」と定義付けられているのが本当に嫌で、「妊娠治療」と言葉を変えてくれたらいいのにと常々願っています。TGP(Trying to Get Pregnantの略で、「妊娠しようとがんばっている」という意味)という造語まで作ってしまったくらい、「不」という文字への嫌悪感があって。なぜなら、「不妊」という言葉から否応なしに感じられてしまうネガティブさが、「妊娠できないことは恥ずかしい」などと、抱く必要のないマイナスの感情を、特に女性の側にもたせてしまって、当事者の方々を余計に苦しめる要因になっていると思うからです。
そんなふうに考えるようになったのは、体外受精を始める時に何気なくブログにそのことを書いたら、びっくりするくらい大きな反響があったのがきっかけでした。「そんなデリケートな問題を公表するなんて、信じられない」といった批判の声もたくさんありましたが、私にはそもそも「公表した」なんて意識はなくて、「○○番組の収録をしました」「我が家の夕飯、今日はこんなメニュー」という日常の出来事を報告するのと同じ感覚だったんです。そして一方で、「私も体外受精にトライ中です。でも誰にも言えなくて……とても励まされます!」と共感して下さる方がそれ以上に多かったこともまた、まったく予期せぬ反応でした。それ以来、自分の選択を恥じたり、隠したりする必要はないよ――そんな思いが強くあるので、小林さんのこの漫画は、そういう意味でもとても嬉しいものでした。
子供を産んでみたいのか、自分の遺伝子を残したいのか、子育てがしてみたいのか、家族を持ちたいのか――作中で小林さんも自問自答を繰り返し、養子縁組について調べたりもしていましたが、体外受精によってでなくても、「子供を持つ」ということそれ自体が、自分が根本のところでどう生きたいと希望しているのかを見極める作業でもあると思うんです。それは三十代から始めるより、二十代から考え出した方が選べる道が多い分、絶対に良くて。だからこそ、この本は若い方や男性にもぜひ読んで欲しいです。
最後の数ページ、小林さんは、「子供ができなかったもう一人の自分」を描きます。“あり得たかもしれない”もう一つの「未来」を考える結末に、私は深く感動しました。「不妊」は決してマイナスなことだけではない――そんな小林さんからの確かなメッセージが、一人でも多くの人に広がるように願っています。