北川悠仁(ゆず) すべてのクリエイターが読むべき、泥臭い音楽家の青春群像劇/松任谷正隆『僕の音楽キャリア全部話します』刊行記念

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北川悠仁(ゆず) すべてのクリエイターが読むべき、泥臭い音楽家の青春群像劇

[レビュアー] 北川悠仁(ミュージシャン)

北川悠仁(ゆず)
北川悠仁さん

 僕が初めて松任谷さんと仕事をさせていただいたのは、二〇〇四年。ゆずの二十枚目のシングル曲『桜木町』のアレンジをお願いしたときです。

「どんなふうにしたいの?」

 そう聞かれ、「ピアノのイントロから始まる、切ない曲にしたい」という話をしたときに、松任谷さんがおもむろにピアノの前に座り、いくつかのフレーズを弾いてくれました。そのメロディーが本当に素晴らしくて、感動したことを今でも覚えています。その後にリリースされた『栄光の架橋』も同じく、なにげなく弾いたイントロに心打たれ、その場にいた全員がそのメロディーの虜になっていました。

 それから松任谷さんと交流させていただく機会が増え、お正月の時期には松任谷さんの家に遊びに行かせていただいたこともあります。そこではユーミン特製のおせち料理を食べさせてもらったんですが、その場に松任谷さんはいません。どこにいるのかと思えば、寒空の下ベランダで、お取り寄せしたお肉を、お取り寄せした炭で焼き続けて、僕たちに振る舞ってくれていました。そのお肉を出すタイミング、味。それが本当に抜群で。この姿勢って、音楽のプロデュースワークにも通じるところがあるんじゃないかと、美味しいお肉を頂きながらひとり考えていました。

 悩みや葛藤もなく、音楽家としての道をクールに、そしてスマートに歩んできた――。著書『僕の音楽キャリア全部話します』を読むまで、僕は松任谷正隆さんという人について、勝手にそんなイメージを抱いていました。ところがこの本に描かれていたのは、音楽に対する凄まじい情熱と執念を持った、ある意味で泥臭い、松任谷さんと周囲の音楽家たちの青春群像劇です。


松任谷正隆さん(写真・矢部志保)

 松任谷さんやユーミンがつくってきた音楽というのは、僕が物心ついたときにはすでに、J-POPのスタンダードナンバーとして世の中に定着していました。でも改めて、ひとつひとつのサウンドに耳を澄ますと、当時は誰もやっていないようなことに挑戦していて、そのつど道なき道を切り開いてきたんだなということがわかります。文中の松任谷さんの言葉で特に印象的だったのは、「チャラくても流行を追いかけることに決めました」「年齢を重ねると、ほとんどの人はオーバーランしなくなるけど、僕は、まだオーバーランかな」の部分。松任谷さんほどの方が、これからも果敢に変わっていく宣言をしていることがすごくかっこよくて。その手にしたい表現への飽くなき探究心に、改めて刺激をもらいます。

 同じミュージシャンとして、強く共感した箇所もあります。松任谷さんが手がけた楽曲に共通して言えるのは、音から風景が見えること。これって実は、僕らの音楽“J-POP”が、いま一番失いかけている部分なんじゃないかなと思います。言葉だけで伝えようとするメッセージ性だったり、デジタルな音作りだったり、はたまた、SNSの進歩だったり。いろんなことが便利になればなるほど、みんながスマホと向き合う時間が増えれば増えるほど、希薄になってきている。そんな時代の中で、僕はそれでも、松任谷さんがつくられてきた名曲たちのように、音から風景が広がるような音楽の良さを受け継いでいきたいと思いました。

 音だけでなく、文中では松任谷さんがプロデューサーとして、ユーミンの内的な魅力を引き出すエピソードが描かれています。そういえば数年前、僕の結婚式のとき、松任谷さんの演奏でユーミンに歌を唄っていただいたんです。その歌は、本当に人の心に突き刺さる――魂で唄っているような歌で。会場に居た、いい大人たちがみんな大泣きしていました。そのときは冷静に考えられませんでしたが、“生身の人間が唄う”というシンプルなことを、本当に大切にしているんだなと、いま振り返ると感じます。

 松任谷さんの作品に触れると、上質なスープが最初は少し薄味に感じるのに、飲み終わると深い満足感を与えてくれるような感覚を受けます。そして、もう一回観たい、聴きたいと必ず思わせられる奥深さが作品の中に秘められているんです。とてもおこがましいんですが、時代は移ろいでも、松任谷さんにはその新しい時代の中で、そんな奥深さを感じさせる作品をつくり続けてほしいです。今を生きるすべてのクリエイターがスローガンにしたい「最高傑作は、常に次の作品です」という言葉通り、松任谷さんが最後まで走り続ける姿を見続けていたい。そして、その少年のような、大人のような背中を、いつまでも追いかけさせてください。

新潮社 波
2016年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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