カフカ賞作家の本作に涙腺決壊警報発令!
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
カミュの『シーシュポスの神話』が好きだ。神々の怒りを買って、山頂に運んでも転がり落ちることが決まっている岩を、永遠に上げ続ける罰を与えられたシーシュポス。しかし、カミュは言うのだ。この不条理に音を上げず、苦役に耐え抜くシーシュポスの姿こそが希望であり、神々への勝利宣言なのだ、と。
〈はるか大昔の日照り続きのその年、年月はあぶられ、ほんのひとひねりで灰のようにボロボロ崩れ、日々は燃えている炭のように張りつき、手のひらをジリジリと焼いていった〉
千年に一度クラスの大日照りで畑は枯れ果て、住人たちが捨てた山間の村。そこに、全盲の犬メナシと共に、たった一本芽吹いたトウモロコシの苗を守るために残った七十二歳の〈先じい〉。村上春樹に次いでアジアでは二人目となるカフカ賞を受賞した閻連科の『年月日』の主人公は、シーシュポスに匹敵するほどの感銘を読者にもたらす老人なのだ。
自分と犬の小便をまいてやり、わずかな食糧とトウモロコシを守るためにネズミと知恵比べをし、村の井戸が涸れれば山の奥に分け入り、谷で見つけた小さな池から水を運び、その帰り道に遭遇した狼の一群と戦い―。どんな困難が立ちふさがっても、決して心折れることなく、照りつける太陽に鞭をふるって反骨心を示す先じいのガッツは、地震や台風といった天災に見舞われることしばしばの日本人にとっては、神々に理不尽な試練を与えられたシーシュポスを超えて胸を打つはず。
また、雨乞いの儀式のせいで両目を失った犬を引き取り、メナシと名づけて相棒のように扱う先じいの姿は、全国の犬バカのハートを鷲づかみにすること間違いなし。
〈わしの来世がもし獣なら、わしはおまえに生まれ変わる。おまえの来世がもし人間なら、わしの子どもに生まれ変わるんだ。一生平安に暮らそうじゃないか〉
先じいとメナシの魂の奥の奥の奥で理解しあい、信頼しあい、慈しみあっている関係に涙するのはまだ早い! いよいよ生き延びられないと悟った時、先じいがメナシに提案する銅銭を使った賭けのエピソード。その時、先じいが天に願ったトウモロコシへの深い思い。ようやく雨が降り、村人たちが帰ってきた時、トウモロコシの状態と賭けの真実とがわかる百四十二ページと百四十三ページにこそ、涙腺決壊警報が鳴り響いているのだ。これは、先じいの神話。シーシュポスの神話を超えた、先じいとメナシの神話なのだ。