永野健二・インタビュー バブルは第二の敗戦だった/『バブル 日本迷走の原点』刊行記念特集

インタビュー

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バブル

『バブル』

著者
永野 健二 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103505211
発売日
2016/11/18
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『バブル 日本迷走の原点』刊行記念インタビュー/永野健二 バブルは第二の敗戦だった

――1980年代後半のバブルの時代から30年近くが経ちました。なぜ今バブルなのでしょうか。

 現在はデフレの時代といわれますが、妙に80年代に似た空気を感じます。アベノミクスと呼ばれるデフレ脱却政策の先行きに大きな不安を覚えているせいかもしれません。記者として長い間、市場経済を見てきた経験から言えるのは、「市場はコントロールできない」ということ。しかし現政権はそれをできると考えているようです。80年代のバブルの時代を考えることは、こうした間違いを正して、時代に謙虚に向かい合うために必要なことだと思います。

――本書はいわゆる「バブルの時代」だけでなく、少し前の時代から取り上げています。なぜでしょうか?

 バブルは、ある日突然起きるわけではありません。そこにいたる理由が必ずあります。私は80年代後半のバブルは日本の戦後システムの総決算であり、第二の敗戦だったと考えています。71年の金本位制の終焉と、73年の変動相場制への移行と第一次オイルショックは、世界経済の転機でした。戦後の日本を支えてきた日本独自の資本主義、私の言葉でいえば「渋沢(栄一)資本主義」は、この時に変わらなければいけなかった。しかし変われなかった。それが80年代のバブル増殖の原因です。

――バブルの崩壊についてはこれまで多くの本が書かれてきましたが、バブルの増殖・形成の過程についてはあまり触れられてこなかった気がします。

 バブルの崩壊は、負の側面がはっきりと見えるので、誰にでもわかりやすい。しかしほんとうに大切なのは、バブルの増殖・形成の過程で何が起こったか、です。バブルの増殖を支えたのは、地価は上がり続けるという「土地神話」であり、銀行は潰れないという「銀行の不倒神話」です。その根本にあったのが護送船団行政でした。官僚と銀行が一体となった金融システムこそが、バブルの増殖を支えるプラットホームになっていたのです。冷静に考えれば持続不可能なバブル増殖の仕組みに、いつのまにか日本のエリートたちが巻き込まれていました。金融機関や企業、官僚の行動原理が変わり、最後には人々の価値観までが変わった。まさしく日本が壊れたのです。「バブル崩壊」だけが悪者で、「バブル自体は良かった」というのは間違いです。

――本書で一番書きたかったことは。

「株屋と不動産屋の行動がバブルの原因だ」と考えている人が今も政権の中枢に生き残っています。この認識は単に間違っているというだけではなく、バブルの傷を深くした原因でもあります。証券会社や不動産会社に罪がないとは思いませんが、より根本的な原因は、官民が一体となった日本の金融システムそのものにあったのです。この本で一番書きたかったのは、このことです。もう一つの思いは、バブルの時代に生きた人々の物語を描きたかったということです。資本主義は「成り上がり」を許容する仕組みです。挑戦者たちの時としていかがわしいような挑戦を認めなければ成り立ちません。あの時代に成り上がろうともがき、敗れていった人々がいます。しかし敗れていった人々の中にも真実があり、実現しなかったプロジェクトの中に現代への教訓もあるのです。この本は、私と同じ時代を生きた人々への鎮魂歌でもあります。

――当時の日本と今の日本を比べて感じることは。

 いまやバブルを全く知らない世代が、日本を動かし始めています。未来に明るさを感じたことのない世代です。これがバブルの時代との大きな違いではないでしょうか。トランプ次期米大統領の登場に象徴されるように、グローバル化する世界のなかで、内向きの国や人々が多くなっています。それでもグローバル化に歯止めはかかりません。資源のない日本にとってはなおさらです。ちなみにこの本で取り上げた秀和の小林茂やイ・アイ・イの高橋治則は、トランプと同じ時代に登場した、彼と瓜二つともいえる個性です。トランプは度重なる経営危機を乗り越え、米国大統領の座にたどりついた。一方で、小林や高橋は歴史の彼方に忘れ去られている。彼我の差を感じないわけにはいきません。

――どんな人に読んでほしいですか。

 バブルを知らない若い世代に、バブルの時代を知ってほしい。この本は歴史の本であり、同時に現代につながるニュースの本だと思っています。内向きに幸せを追求するだけでは、個人も国も結局は生き残れない時代がやってくるということを、歴史に学んで欲しいと思っています。

新潮社 波
2016年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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