田辺聖子『孤独な夜のココア』/原幹恵 映画になった新潮文庫

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孤独な夜のココア

『孤独な夜のココア』

著者
田辺 聖子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101175119
発売日
1983/03/29
価格
693円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

原幹恵 映画になった新潮文庫

[レビュアー] 原幹恵(女優)

 DVDの撮影で沖縄へ行ってきました。さすがの南の島も、十一月に水着になると肌寒く、浜辺でカメラに向かいながらココアが懐かしい季節だなあと思っていました。私は母の作ってくれるココアが大好きで、特にお湯ではなくて、ミルクを沸かして淹れてくれた時は「愛情!」と思ったものです。

 さらに寒い東京へ戻ってきて、田辺さんのこの短篇集を読み出したのですが、残念ながらココアは一度も出てきませんでした。その替り次々に登場するのはちょうど私くらいの、二十代も終りの方の女性たちで、みんなもう婚期を逃しかけていたり、オフィスではお局になったりしている設定で、ひゃあーと呟いて、友人に「まあ、四十年くらい前の小説だから」と慰められました。

 それはともかく、私は物語を自分に引きつけて読むのか、「雨の降ってた残業の夜」や「おそすぎますか?」みたいに略奪愛が絡む短篇はどうも苦手で(私の周囲の女友達が口を揃えて「男の人って必ず浮気するの」と言うもので、だんだん男性が信用できなくなりつつあります)、ハッピーエンドの「エープリルフール」や、一見いやらしい中年男女の恋の結末を見守る「ひなげしの家」や、ヒモのような男性に去られる「石のアイツ」などに惹かれます。

「雨の降ってた残業の夜」に「恋というものは、生まれる前がいちばんすばらしいのかもしれない」というフレーズが出てきましたが、結局この本のヒロインたちは、他の女性に取られるにせよ、単に別れるにせよ、恋人がいなくなった瞬間に、かけがえのない人だったと気づきます。辛い真実。

 その点で、まさに恋が生まれるまでを描いた最終話「中京区・押小路上ル」は後味も良くて、ほんわかします。京都の真ん中の古い町で育った宇女子(うめこ)は、「こんな古い、薄暗い、不便な家に未練はない」し、「朝起きて会社へいくのに、私は何十ぺん、お辞儀しないといけないか、わからない」(挨拶しなければ「あの家の娘はんは、頭(ず)のたかい人やなあ」と言われる)生活が嫌いです。毎年祇園祭(ぎおんサン)へ一緒に出掛ける幼なじみの文夫はいるけれど、母親に無理やり着せられた浴衣が少し太り肉(じし)のせいで苦しくなると(本当はちょっと太っている方が着物は似合いますよね)平気で不機嫌になる。「不機嫌になっているのは、文夫に対して心ときめきするものがないからかもしれない。それだけ馴れ親しみすぎたのだ」。しかし、やがて……と手品のように小説は展開します。

 苦くて、甘くて、怖くて、本心が分りにくくて、率直なのが田辺さんの世界なんだと読み終えました。平明な言葉で書かれているのに、人物の心理は複雑です。これは田辺さん原作(この本には入っていません)の映画『ジョゼと虎と魚たち』も同じ。俳優さんの名前で書くと、恋人の妻夫木聡さんに去られた上野樹里さんが池脇千鶴さんと坂道で対峙する場面は怖いし(でも理解できる!)、妻夫木さんとの甘く苦い恋愛が終わった後、一人で魚を焼く池脇さんの顔がそれまでと全く変わっているのも印象的。田辺さんのヒロインらしく、終わった恋を糧にして、心が満たされている感じなのです。

新潮社 波
2016年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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