世界一ありふれた答え 谷川直子 著

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世界一ありふれた答え

『世界一ありふれた答え』

著者
谷川, 直子, 1960-
出版社
河出書房新社
ISBN
9784309025094
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

世界一ありふれた答え 谷川直子 著

[レビュアー] 最相葉月(ノンフィクション・ライター)

◆無力さを認め、気づく

 雨の日のカフェで女と男が言葉を交わす。女は市議会議員の元妻まゆこ。男はピアニストのトキオ。二人は同じクリニックでうつ病の治療を受けている。まゆこは離婚してから自分はなんの価値もない人間になったと嘆き、トキオはピアノを弾く時だけ指が動かない難病を患って死んだも同然の時を過ごしていた。

 片翼をもがれた者同士、何もできないことを確かめ合い、束(つか)の間の安心を得る。性愛はない。まゆこはトキオにドビュッシーのアラベスクを習う。たどたどしい演奏は今の二人に似合っていた。

 だが人と人がいれば空気は動く。二人の関係を揺さぶるのはカウンセラーの頼子だ。まゆこに心理療法を施し、思考の矛盾を突く。負けん気の強いまゆこは怒りを覚えながらも自分が病んだ理由を知ろうともがく。立ち直っていくまゆこに裏切られたと感じていたトキオも、まゆこの誠実さに支えられ、音楽と自分の関係に一つの答えを見出(みいだ)していく。

 「かくある」と「かくあるべき」の乖離(かいり)が心の病を生むという。自分らしさを美徳とする時代に生きる現代人はみな、肥大化した自我を持てあましている。まゆことトキオは「私」だ。「自分が取るに足りない存在であることを認めるのは、思いのほかむずかしい」。だがそこに立って見える地平がある。二人の気づきには著者の祈りが込められている。

 (河出書房新社・1512円)

<たにがわ・なおこ> 1960年生まれ。小説家。著書『おしかくさま』など。

◆もう1冊 

 盛田隆二著『二人静』(光文社文庫)。場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)の娘を育てる女と、認知症の父を介護する男の出会いを描く長篇。

中日新聞 東京新聞
2016年12月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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