『湯たんぽにビールを入れて』 戦後を生きる諦念のユーモア

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『湯たんぽにビールを入れて』

[レビュアー] 川本三郎(評論家)


『湯たんぽにビールを入れて』
古山高麗雄[著](講談社)

 戦争中、陸軍一等兵として南方戦線を転戦。敗戦後、サイゴンの刑務所に収容された。そうした苛酷な体験から生まれた『プレオー8(ユイット)の夜明け』(昭和四十五年)で芥川賞を受賞した古山高麗雄は、地を這う蟻のような低い視点から戦争文学を多く書いたが、他方で、戦争に生き残った人間が、居心地の悪い戦後社会をなんとか生きてゆく飄逸な市井小説も書いた。本作はその代表作(四十五年)。

 四十八歳になる「私」は勤めていた出版社が倒産したあと、やっと新興宗教の機関誌の編集の仕事を得る。といっても安月給のしがない雇われの身。東京の駒込に妻と高校生の娘と暮している。

 ある時、仕事で福島県の海沿いの町々へ旅に出る。九州から出て来て蘇鉄を売り歩く行商の若者を、ボロのバイクに乗って取材する。当時としては珍しいロードノヴェルになっている。

 旅先は小さな町ばかり。それが戦中派の孤独な「私」には合っている。旅は、さすらいに似たものになってゆく。

 旅をしながら、戦死した友人のこと、彼が同棲していた私娼(福島県の海沿いの村にある農家の娘だった)のこと、現在の心細い暮しのことを考える。

 このところ体調が悪い。癌かもしれない。自分が死んだら妻と娘はどうやって暮してゆくのだろう。

 古山高麗雄は決して大仰に自己を語らない。苦悩をひけらかさない。悲しみは死んだ戦友たちが持っていった。生き残った者は、ただ黙して悲しみに耐えるしかない。その諦念がユーモアを生む。

 奇妙な表題は、失業中、テレビのアメリカのドラマを翻訳していた時、そう誤訳したことによる。苦い自嘲がある。

 福島県の原町(はらのまち)、広野(ひろの)、四倉(よつくら)と海沿いに南下する。若者と別れ、一人旅になる。

「ハワイアンセンター」で「ハワイアンダンス」を見る。最後、泊る宿がなくなり、仕方なく茨城県のモーテルに一人で泊る。うら寂しさが胸に沁みる。

 この小説が好きで、以前、同じ道を辿ったことがある。古山高麗雄は九九年に夫人に先立たれ、そのあと二〇〇二年に自宅で「孤独死」した。

新潮社 週刊新潮
2016年12月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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