『元サルの物語』 ジョナサン・マークス著

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元サルの物語

『元サルの物語』

著者
ジョナサン・マークス [著]/長野敬 [著]/長野郁 [著]
出版社
青土社
ISBN
9784791769551
発売日
2016/10/26
価格
2,808円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『元サルの物語』 ジョナサン・マークス著

[レビュアー] 岡ノ谷一夫(生物心理学者・東京大教授)

ヒトの新しい生き方

 NASAがパイオニア10号に取り付けた金属板をご存じだろうか。水素原子、太陽系の概念図に加えて裸の男女の絵が描かれている。この絵は、特定の文化に依存せず人類を代表するものとして裸で描かれたはずだが、髭(ひげ)を剃(そ)り頭髪と陰毛の手入れをした白人であることは明らかだ。著者はこれをNASAのポルノグラフィーと茶化(ちゃか)す。文化を剥離した人間の本質などあり得ない。だから文化から独立した普遍性を持つ科学もあり得ない。これが著者の主張だ。

 ヒトが霊長類でありながら全く新しい生き方をするようになった理由を、著者は考え続ける。これに答えるためには生物学は不十分である。なぜならヒトは道具・家畜・言語・規則など、自らが作った文化環境に適応しながら変化したのだから。そして文化環境は適応的である以上に歴史的で恣意(しい)的なものだから。著者はこうした思索から遺伝・発達・利用・文化・選択の5つの階層からなる非還元的な進化システムを提案する。各階層は相互作用するが上位の階層を下位の階層に還元することはできない。

 たとえば「なぜ貧富の差があるのか」という問題に対して、2つの答え方がある。1つはそれを歴史的な不正義として説明すること、もう1つはそれを個々人の能力に対応すると説明すること。現実にはどちらも必要な答えだ。科学的な説明は後者の方だが、これを格差の合理化に使用する必然はない。むしろ、格差をならす方向に利用するべきであろう。

 では科学者は何をすべきか。「個々人は義務とは無関係に同等な権利を持つ」ことを公準とするがゆえに、ヒトはヒトなのである。この公準は、ヒトが数万年かけて手にした最も重要で美しい知恵である。これを捨て去れば元サルはサルに戻る。科学的知識はこの公準に反する使われ方をするべきではない。以上は私見だが、著者の本音と大きく異なるものではないことを私は信じる。長野敬、長野郁訳。

 ◇Jonathan Marks=米ノースカロライナ大教授(人類学)。著書に『98%チンパンジー』。

 青土社 2600円

読売新聞
2016年12月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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