等身大の武士が困難なミッションに挑むお仕事時代小説

レビュー

6
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

喜連川の風 忠義の架橋

『喜連川の風 忠義の架橋』

著者
稲葉 稔 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041043745
発売日
2016/10/25
価格
691円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

等身大の武士が困難なミッションに挑むお仕事時代小説

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

 最近は、旗本なのに参勤交代をする交代寄合に着目した佐伯泰英『交代寄合伊那衆異聞』、浅田次郎『一路』のように、珍しい役職を描く時代小説が増えている。稲葉稔が新シリーズ『喜連川の風』の舞台に選んだ実在の藩・喜連川藩も、江戸の幕藩体制の常識から外れた特殊な藩である。

 江戸時代は、一万石以上の所領を持つ藩主が大名とされたが、喜連川藩主はわずか五千石ながら十万石格の大名と同等に扱われていた。また最高位の尊称「御所号」を有し、参勤交代の免除などの特権も与えられていた。喜連川家が厚遇されたのは、室町幕府を開いた足利氏を祖とする名家だったからだ。時代小説ファンなら、喜連川藩の設定だけで胸が躍るのではないか。

 物語の主人公は、藩の重役と下士を繋ぐ中居として十代藩主の喜連川煕氏に仕え、妻を亡くし、幼い清助を男手で育てているシングルファーザーの天野一角である。

 家格は高いが所領が狭く、これといった産業もない喜連川藩は、ご多分にもれず財政難。前作「江戸出府」は、肥後細川家から一万両を借りるという命を受けた一角が、交渉を有利に進めるため細川藩の弱みを探りながら、藩内の派閥抗争や殺人事件にも巻き込まれる波乱に満ちた物語だった。

 一角は、唯心一刀流の免許持ちで藩内でも五指に入る剣客なので、魅惑的な剣戟シーンも用意されている。だがあくまでメインは、上役から与えられた無茶なミッションを、どのように解決するかなのだ。二〇一四年に完結した『風塵の剣』は、剣を修行する主人公の自分探しを題材にした青春小説色の強い作品だったが、『喜連川の風』は組織の中、家庭の中で生きる等身大の人物を描いているのである。

 シリーズ二作目の『喜連川の風 忠義の架橋』では、一角が、隣藩の烏山藩にある小白井村を流れる川の普請と橋の架け替えを命じられる。この話は、烏山藩主が、庶民の生活にも目を配る名君の煕氏に嘆願して実現した。煕氏に指示された家老の本間壱岐守主税が丸投げしたため、一角は経験のない土木作業を指揮することになる。

 一角の立場は、専門外の巨大プロジェクトのリーダーを命じられるようなもの。しかも上司は、成功すれば自分の手柄、失敗の責任は一角に押し付けようと考えている。無理難題を押し付けられても文句を言わず、慣れない仕事にも懸命に取り組む一角は、現代のビジネスパーソンに近いので、共感する読者も多いだろう。

 本書には、老いた母と気鬱の妹を介護する下士の海老沢清兵衛が、重要な役で登場する。借金で治療費を捻出し、介護を優先するため職場で疎まれている清兵衛は、介護離職が深刻さを増している現代を象徴するキャラクターといえる。清兵衛に手を差し伸べ、仕事を続け家庭も崩壊しない方策を考える一角は、高齢化社会とどのように向き合うべきかを問うているのである。

 一角は、まず壊れた橋の架け替えを始めるが、川が増水しても壊れない橋にするには、近隣の田畑まで用水路を引く必要も出てくる。そのため、工事が増えて予算が足りなくなり、利益を受けるので喜んで工事を手伝ってくれると思っていた近隣の村人が、農作業などを理由にあまり集まらず、人手不足にも悩まされる。追い討ちをかけるように、凶悪な盗賊団が現れ、一角はその対応も迫られるのである。

 当初は完成が危ぶまれた川普請だが、困っている隣国を助けるのは当然だと語る煕氏のやさしさと、私利私欲のない一角の働きが、武士と農民、国の違いを超えて工事に臨む人たちの心を一つにしていく。一角がヒーローではないからこそ、次々と襲い来るトラブルを、知恵と誠実さで乗り越える展開が痛快で、勇気と希望がもらえるのだ。

 懐の深い主君の煕氏を信じ、足を引っ張る上役や不利な条件をものともせず、誰もが安心して暮らせる社会を作るため邁進する一角は、働くことの意義を改めて教えてくれる。そんな一角が、これからどんな困難に挑むのか、シリーズの今後を楽しみにしたい。

 ◇角川文庫◇

KADOKAWA 本の旅人
2016年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

  • このエントリーをはてなブックマークに追加