カズオ・イシグロが描く“お堅いバトラー” ブッカー賞受賞

レビュー

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日の名残り

『日の名残り』

著者
Ishiguro, Kazuo, 1954-土屋, 政雄, 1944-
出版社
早川書房
ISBN
9784151200038
価格
792円(税込)

書籍情報:openBD

『日の名残り』

[レビュアー] 渡部昇一(上智大学名誉教授)

 イギリスにはバトラーと称する特別な人たちがいることがよく知られております。これは一応「執事」と訳されております。イギリスの貴族階級が出るような映画でもお目にかかるように、礼装をした感情を示さない威厳のある召使いたちの統率者です。

 この典型的なイギリスのバトラーをテーマにして傑作を書いたのが、元来は日本人のカズオ・イシグロであったことがイギリス人の書評家にも異様な感じを与えたようです。しかし、本書は傑作であり、ブッカー賞も与えられております。

 我々にとって特に興味があるのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期にあって、ベルサイユ条約のドイツに対する厳しさに憤慨したイギリス人の貴族たちが英独融和のためにこの貴族のホテルのような邸宅―ホールと言われます―で秘密裏に会議をした状況が、バトラーの目を通じて生き生きと描かれていることです。このダーリントン・ホールの持ち主は真に立派な、むしろ高貴な紳士にバトラーには思われました。駐英ドイツ大使のリッベントロップなどもこのホールに来ていると書かれています。こうした個人的な、内密な国際会議が表向きの国際会議の前になされているらしいということは、まことに興味深いことで、日本の外交の難しさもこんなところにあるのかもしれません。

 この主人公のバトラーは、理想的なバトラーとして自分を高めようとしております。その場合、理想的というのはひたすら感情を殺して仕事に打ちこむということですが、その生真面目な様子がユーモラスに描写されているところが、イシグロの筆力でしょう。そして、この堅い堅いバトラーが仕えた屋敷も戦後はアメリカ人に売られ、ひどい人手不足に陥ります。その時に、昔の女中頭だった人の手紙に刺激を受けて、彼女に復帰を頼もうと思って旅に出るのですが、そこで彼は初めて涙が出るような思いをする夕方を体験します。しかし、彼は新しいアメリカ人の主人を喜ばせるジョークの勉強をしようと思いながら帰ってくるというバトラー精神を示すのです。

新潮社 週刊新潮
2016年12月15日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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