悪癖の科学

『悪癖の科学』

著者
リチャード・スティーヴンズ [著]/藤井留美 [訳]
出版社
紀伊國屋書店
ISBN
9784314011419
発売日
2016/08/29
価格
1,760円(税込)

悪癖健康法

[レビュアー] 辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト)

 飲酒、喫煙、ガム、サボり、悪態、性欲、不毛な恋愛、スピード違反etc……誰にでもある数々の悪い癖。人間は108も煩悩があるからしかたがない、と罪悪感を覚えながらもあきらめていた人にとって、この本は一筋の光明となることでしょう。さまざまな悪癖を科学的に分析し、さらに隠れた効能までもアカデミックに解明しています。悪癖に悩んでいた人は、これからは堂々と行えるかもしれません。罪の意識こそ体に毒です。

 まず、最初に取り上げられていた項目は、どこかうしろめたい気持ちを持ってしまう性行為について。セックスがストレスを和らげてくれる、という説は想定内ですが、性行為中、顔を苦悶に歪ませることで表情筋のエクササイズになって、若々しく健康的な顔立ちになる、という説は盲点でした。こんな調子で、悪癖を教養と笑いを交えて検証していて、さすがイグ・ノーベル賞受賞の著者はギャグセンスが高いです。

 興味深かったのは悪態についての章。海外の映画など観ていると「fuck」とか「shit」の連発で、老婆心ながら眉をひそめたくなりますが、日本でも最近は何にでも「クソ」をつける風習が広まっています。著者はこの悪態についても分析を試みます。過去に様々な研究者によって、悪態は「社会的悪態」(親しさや仲間意識の表現)、「不快表現の悪態」(軽いストレスを感じているとき)、「侮蔑的悪態」(ディスる目的)、「様式的悪態」(発言にニュアンスをつける)、の四種類存在することがわかってきました。著者はそこに「習慣的悪態」(ボキャブラリーに組み込まれ連発してしまう)という状況を追加。さらに悪態の頻度や年齢層、知能指数や収入などについて調べられた結果が紹介されているのですが、社会階層が下がるにつれfuckを発する頻度は高まる、というのは当然な気がしますが、なんと上位中流層(上級管理職や専門職)が、下位中流層に比べてfuck を発する頻度が高いという逆転現象が起こっていることが判明。「上位中流層ともなると地位は安泰なので、好きなだけ悪態をつくことができる」という説は説得力があります。また、実は悪態は言語能力の高さを表し、悪態をつくことで痛みやストレスへの耐性が高まる、という斬新な理論も展開。仲間内での悪態は連帯感も高める、と良いことづくめな気がしてきます。ストレスを逃がす悪態を抑えすぎるとかえって不健康に……。この本を読むと、まじめな人間は損している気がしてきます。

 そして「恋愛」の危険性や効能についてもクールに分析。「恋をすると、チョコレートやお金やコカインと同じ報酬経路が活発になる」、なんとなくそんな予感がしていました。恋わずらいは、古代ギリシャの哲学者プラトンに「深刻な精神病」と呼ばれ、ソクラテスには「狂気」とまで言われていたそうで、心身に負担がかかる行為です。ある調査では「不倫男性は心臓発作をはじめとする重大な心血管リスクが二倍」という結果が。『失楽園』の渡辺淳一先生は医者でもあるのでご存知だったのでしょうか……。でもこの本にはちゃんと恋愛の効能も紹介されています。恋をすると血糖値が高まり、血液中の神経成長因子が増えるという研究報告もあるとか。この本で恋愛の科学的な知識を得たことで、恋愛にハマりすぎず適度な距離を保てそうです。

 怠惰な悪癖についても効能が紹介されていました。まず、チューインガムを嚙む行為について。いい大人でも、世慣れた雰囲気を出そうとしてか人前でガムを嚙んでいたりして、そんな業界人を目にするとイラッとしていたのですが、彼らは実は緊張していてストレスを和らげようとしていたのかもしれないことがわかりました。この本のおかげで優しくなれそうです。そして、自分も身に覚えがある、乱雑な部屋について。整理整頓された部屋の主の方が社会的にちゃんとしていて成功者というイメージでしたが、なんと研究によると「乱雑な部屋で考えた被験者のほうが、整頓された部屋の被験者よりも独創性が高い」という結果に。「秩序は前例を優先させる保守的な傾向と、いっぽう無秩序は新しいことに重きを置く独創的な傾向と結びついているようだ」、この一文に救われました。

 読み進めるうちに「ほら!」「やっぱり!」と、道徳観を押し付ける社会や親に対して、こちらの勝利をアピールしたくなってきます。「健康のために、酒もタバコもセックスもグルメもやめた男がいる。どうなったかって? あっというまに自殺したよ」(ジョニー・カーソン)……この本の最初に引用されてる格言が心に刺さります。悪癖は、人間が心身の健康を保つために必要なのです。もはや健康法のジャンルの本でもあるかもしれません。今抱いている罪悪感が半減することだけでも、まちがいなく健康に良い影響がありそうです。

紀伊國屋書店 scripta
winter 2016 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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