『少年が来る』
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生とは何か、人間とは何か その根源を問い直す問題作
[レビュアー] 武田将明(東京大学准教授・評論家)
一九八〇年五月十八日、韓国南部の都市光州において、民主化を求める学生と市民に軍が発砲、その後の十日間で二百人以上の死者・行方不明者を出した。本書はこの光州事件を題材にした小説である。幼少期を光州ですごした作者は、事実を踏まえながら様々な犠牲者の声を再現する。中学生、女性労働者、さらには死者の魂までも、冷静に、しかし深い感情を滲ませながら、受け容れがたい現実を証言する。
内臓も露わなまま腐乱し、醜く膨張する遺体。軍によって人目につかぬ場所に運ばれ、「数十本の足がある、でっかい獣の死骸」のように積み上げられた後、一斉に燃やし尽くされる死者の群れ。辛うじて生き延びた者たちにも安息は訪れない。留置場で拷問を受け、血にまみれ腐臭を放ったおのれの肉体を嫌悪し、仲間を見殺しにした罪悪感に苛まれ続け、ついには死を選ぶ者もいた。
同じ作者による『菜食主義者』(原著二〇〇七年、きむふな訳、クオン、ブッカー国際賞受賞)では、人間生活にまつわる暴力が肉食に象徴され、それに抵抗する女性が描かれたが、その七年後に刊行された本作でも、人間の根源的な野蛮さと肉体への憎悪が結びついている。
だが本書には、圧倒的な暴力にも屈さず、腐乱した遺体にも怯まない情念、すなわち哀悼の念も描かれている。「あなたが死んだ後、葬式ができず、私の生が葬式になりました」とは作中劇の台詞だが、肉親や友人の死を前に、無謀とも崇高ともつかない行動に駆り立てられる人びとの姿は、ソポクレスの悲劇『アンティゴネー』を思い出させる。
ただし本書での哀悼は決して悲劇的なカタルシスに収斂しない。残された者たちは、終わりのない憂鬱と向き合いながら生命を繋いでいる。この逃げ場のない漆黒の情念の前では、凡百の不条理文学は色褪せる。生とは何か、人間とは何か。その根源を再考させる問題作である。