『さかしま』
- 著者
- J・K・ユイスマンス [著]/澁澤 龍彦 [訳]
- 出版社
- 河出書房新社
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784309462219
- 発売日
- 2010/08/03
- 価格
- 1,210円(税込)
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さかしま
[レビュアー] 川本三郎(評論家)
澁澤龍彥の流麗にして明晰な訳文で知られる十九世紀末フランスのデカダンス文学の代表作。
作者のユイスマンス(一八四八―一九〇七)は勤勉な内務省の役人でありながら、耽美、異端の物語を書き続けた。永井荷風は好んで原書で読んでいた。
本書の主人公デ・ゼッサントは病的なまでに孤独を愛する貴族。パリを離れ、田舎の屋敷に隠棲する。世間とはいっさい関わらない。無論、単身者。老夫婦が身の回わりの世話をする。
若い頃は放蕩三昧だったが、いまは世を捨て、孤独のなかに沈潜する。病弱でしばしば神経衰弱に襲われる。
ストーリーらしいものはない。登場人物はデ・ゼッサント一人なのだから事件も起らない。ただ、この物憂い貴族の高踏的な生活と深い内面が綴られてゆく。
彼が愛するのは現実ではなく、過去と書物と絵画、そして夢想。屋敷には図書室があり古いラテン語の本が揃えられている。自然の花より人工の花を選ぶ。職人の手で亀の甲羅に宝石を埋める。
ギュスターヴ・モローやオディロン・ルドンの幻想絵画を秘蔵する。とくにヨハネの首を所望したサロメを描くモローの「まぼろし」に陶酔する。
宗教的熱狂から考え出されたあらゆる拷問を描いたオランダの銅版画を壁に掛ける。異常なものに美を見る。
デ・ゼッサントはあくまでも書斎の人であり、ただ夢想のなかに生きている。ポーやボードレールを愛読する。
書物そのものも偏愛し、パリに住んでいた頃には特別に雇入れた職人に自分だけの書物を作らせたこともある。屋敷のなかで香水の調合もする。
高踏趣味が徹底している。おびただしい数の文人、画家、宗教家、聖人の名が羅列される。従って注が壮観。注もまたひとつの物語になっている。
澁澤龍彥の訳は三島由紀夫に絶讃され河出文庫版はすでに十刷を超えている。
ルイス・ブニュエルの「小間使の日記」ではジャンヌ・モローが本書を読む。ヒッチコック「サイコ」の原作の主人公もユイスマンスを読んでいる。