世界は厳しくないし、残酷でもない。トップ1%になるための1つの思考法

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世界は厳しくないし、残酷でもない。トップ1%になるための1つの思考法

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

「我が国の労働環境は、世界的に見て「これ以下はない」というほどに荒廃している」、そう語るのは『トップ1%に上り詰めたいなら、20代は”残業”するな』(山口周著、大和出版)の著者。電通、ボストン・コンサルティング・グループ、A.T.カーニー等を経て、現在は組織開発を専門とするコーン・フェリー・ヘイグループのシニア・パートナーとして働いているという人物です。

本書のアドバイスは、私自身が20代において、周囲との軋轢を起こしながら迷いつつも実践し、結果的には良かったと思える習慣などに加えて、私が人材・組織コンサルタントとしてこれまでに接してきた、「自分らしさを全開して楽しそうに仕事をしながら大きな成果を出して評価されている人=トップ1%」に共通して見られる若手時代の行動様式・思考様式をもとにまとめられています。(「はじめに 将来、『抜きん出る』ために、今しておくべきこと」より)

それらの指摘の多くは、日本企業で横行している「働き方の常識」とはかなり異なるのだといいますが、果たしてどのようなことなのでしょうか? 第1章「20代をどう考え、どう過ごすかで人生は決まる」から、いくつかの要点を引き出してみたいと思います。

世界は厳しくもないし、残酷でもない

「世界」という場所は、別に厳しくもなく、残酷でもない。だから、それほどビビらなくてもいい。著者はそう断言しています。たしかに、世の中には「世界は残酷で厳しい」と吹聴する人がいるものです。しかし、むしろ、いつも世界の側から手を差し伸べて助けてもらったり、導いてもらっているため、「世界は柔和でやさしい」と思っているくらいだというのです。

では、なぜ「世界は残酷で厳しい」という主張がなくならないのでしょうか? その一つ目の理由は、「世界は残酷で厳しい」と吹いている人は、そのように脅すことで自分の主張に対して耳を傾けてくれると考えているからなのだとか。

ここで引き合いに出されているのは、「ホラーストーリー」というコンサルティング会社の営業手法。「みなさんの会社はこれから恐ろしいことになりますよ。しかし大丈夫。我々のコンサルティングを契約すれば、事態は回避できます」といってコンサルティングを売り込むというアプローチです。これは空虚なコンテンツを売ろうとする人の常套手段で、「世界は残酷で厳しい」と吹いて回る人も同じように考えているというのです。

そして2つ目の理由は、「世界は残酷で厳しい」と吹いて回る本人が、残酷で厳しい人であるために、周囲の人も残酷で厳しくならざるを得ないということ。しかし、これを変えるのは簡単だそうです。残酷で厳しい世界を変えようなどと考えず、まず自分が変わればいいわけです。

自分自身が「世界は残酷で厳しい」などと考えていれば、周囲には”残酷で厳しい人たち”が集まってくるだけ。つまりそのような構えをとらなければ、世界は必ずしも残酷で厳しいだけの場所ではなくなる。

世界が厳しくて残酷な場所になるか、朗らかで楽しい場所になるか、それは私たち一人ひとりが世界をどのような場所とみなし、それに対峙するか、その態度次第によって変わってくるということです。(22ページより)

20代は成果を出さなくてもいい

20代の若さで華々しい成功を収め、マスコミにも名前を取り上げられるような人たちと自分を比較し、「自分はなんでこんなにイマイチなんだろう」と落ち込んでしまうようなことは、決して珍しいことではないかもしれません。でも、それは気にする必要がないことで、むしろ20代の若さで脚光を浴びることは避けたほうがいいと著者は考えているそうです。

なぜなら、人生の早いタイミングで脚光を浴びてしまうと、本来なら20代にしかできないインプットが足りなくなり、その後のキャリアにおいてアウトプットができなくなってしまう可能性が高いから。

人生には「種をまく時期」と「実りを刈り取る時期」があり、両者を混同すると人生のバランスが崩れると著者はいいます。そこで、人生を季節のようなものだと考えるべきだというのです。

早春に生まれた赤ちゃんが育ち、やがて「春」である青春期に学生時代を過ごし、「夏」である青年期を経て、「秋」としての中年期・壮年期を生き、その後に「冬」としての晩年を迎えるというイメージ。当然ながら、人生から大きな実りが得られるのは「秋」である中年期・壮年期ですが、そのために必要なのは、春から夏にかけての地ならしや種まき。これをおろそかにして、早すぎる時期に収穫を得ようとすれば、かえって人生から得られる収穫量そのものが減ってしまう可能性があるという考え方です。

そして20代は、人生を1年にたとえるなら「初夏」に当たる時期。稲穂は実って青々と風になびいているものの、まだまだ水も風も太陽も必要で、畑の面倒も見てあげる必要があるわけです。そんな時期に焦って早く「実り=アウトプット」を出そうとすれば、かえって自分という畑の持っている「潜在的な収穫力=可能性」を破壊してしまいかねないというわけです。だからこそ20代の人には、焦らずじっくりと種をまき育ててほしいと著者は願っているそうです。(31ページより)

目標は小さく、具体的に

「よりよい世界のために」というような目標を掲げ、ベンチャーやNPOを立ち上げるケースは少なくありません。そういう人たちを端から見ていると、「自分にはとても無理だ」と落ち込んでしまうかもしれないけれど、その必要はないと著者は主張します。そして、そのことを説明するために引用されているのは、経済学者アダム・スミスの『国富論』からの一節。

公共の利益のために仕事をするなどと気取っている人々によって、大きな利益が実現された例を私はまったく知らない
(40ページより)

つまり著者がいいたいのは、大言壮語的で抽象的な目標からは、実際に「よりよい世界」は生まれないということ。では、なにが世の中を変えるきっかけになるのかといえば、実に単純。「目の前にいる人、状況をなんとかしたい、助けてあげたい」という具体的な想いだというのです。

具体的な問題意識がなければ行動は生まれませんし、行動がなければ事業もリーダーシップも生まれないもの。別な表現を用いるなら、「小さな目標設定」がとても大事だということ。「いま、ここから、やれること」に意識を集中することが大切だというわけです。

カルカッタのスラムで長年にわたって慈善活動を行ったマザー・テレサは、1979年にノーベル平和賞を受賞した際、「世界平和のために、私たちは何ができるでしょうか?」と聞くテレビのインタビュアーに対して、「家に帰って家族を愛してあげてください」と答えています。(41ページより)

この発言のポイントは、「世界平和の実現」という「大きくて抽象的な目標」と、「家に帰って家族を愛する」という「小さくて具体的な目標」との対比。多くの政治家や慈善家は「大きくて抽象的な目標」を掲げていますが、では彼らによって世界平和は前進しただろうかと、マザー・テレサは問いかけているわけです。

「世界平和の実現」などと「抽象的で大きな目標」をかっこよく大言壮語していても、世界平和などは実現しない。ひとりひとりが「いま、ここ」から、周囲の人を愛する。そういう具体的で小さな営みから世界平和は始まるという考え方。そして著者は、キャリアにも同じことがいえると考えているそうです。大きくて抽象的な目標は、具体的な活動に落とし込めないということ。そして、まずは「小さくて具体的な目標」を立ててみるべきだとも主張しています。

著者の場合、「大きくて抽象的な目標」としては、「仕事を通じて幸せになる人を増やす」とか「会社を使って社会を変える、社内革命家を育てる」ということを意識しているのだとか。とはいえこういった目標を掲げても、では「いま、ここ」からなにを始めるかと考えると、途方に暮れてしまうところがあるのだそうです。

重要なのは、「では、そのためには、せいぜい3年後までに、なにを学んでいなければいけないか?」「今年、なにをするか?」「今月、そして今日なにをするか?」、これを考えていけばいいということです。(40ページより)

著者は「働き方の常識」とかけ離れているといいますが、書かれていることは至極真っ当。納得できる点が多いだけに、読んでみれば、なんらかの気づきを得ることができるかもしれません。

(印南敦史)

メディアジーン lifehacker
2016年12月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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