散らばっていたもの 『満潮』刊行エッセイ 朝倉かすみ

レビュー

6
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満潮

『満潮』

著者
朝倉かすみ [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334911362
発売日
2016/12/14
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

散らばっていたもの 『満潮』刊行エッセイ 朝倉かすみ

[レビュアー] 朝倉かすみ

 二年くらい連載していた『満潮』が本になった。刊行にあたりエッセイを一本とのことで、「この小説を書いたきっかけ」を張り切って書く。

 ただし、わたしはロジカルに書く(あるいは話す)のが苦手だ。

 わたし自身、「この小説を書いたきっかけ」が、なぜ、「この小説」になったのか、正直なところ、いつもよく分からない。頭をひねれば、いかにもそれらしい理屈は絞り出せる。読者にとっては分かりやすいだろうが、わたしからすると、零れ落ちるものが多すぎて、正確ではなくなる。

「この小説を書いたきっかけ」は、わたしの場合、常に複数だ。こころのなかに散らばっている、たくさんのかたちのないもののいくつかを繋ぐと、どうしたものか、「この小説」ができあがる。

 陳腐な喩えで恐縮だが、夜空にてんでに瞬く星を眺めているうち、星座がひとつ、見えてくる感じである。見えたら、お話が始まるのである。

 以下、『満潮』のきっかけとなったものを列挙する。

一、太宰治の「饗応夫人」。客をもてなさずにはいられない未亡人を書いた短編。彼女は、からだが弱り血を吐いても、「ごめんなさいね。私、いや、と言えないの」と次第に傍若無人となっていく客を「泣くような笑うような不思議な歓声を挙げて」出迎え、饗応しつづける。

二、人気のある男性芸能人の婚約及び結婚会見で、たまに見かけるすこぶる従順な一般女性。

三、さる(下衆な)雑誌に投稿されていた、パーティで乱痴気騒ぎをする女性アイドルの写真。投稿者によると、「(たまたまその場に居合わせたメンバーの)仲間に入れてほしくて、自分にはそれしかできないかのように、洋服を脱ぎ始めた」そうだ。

四、オンラインゲーム。自分の木に寄ってくる生き物を集めるもの。満潮時と干潮時で寄ってくる生き物が違う。

五、大橋純子の「片思いだけど」の「片思いと僕は憎まないよ 二人になる前は一人だから」という歌詞と、ロマンチックな曲のムード。

六、フィリップ・ロスの『さようならコロンバス』中の科白。「いっしょに寝てあげるわ、イエスでもノーでも。だから、正直に言って」

七、凄惨な事件を伝えるニュースに登場する、(被害者、加害者の)知人のインタビューとそれを観るわたし。彼らの語る(事件発生後ゆえ、いくぶんかは修正が入っていると思われる)エピソードは、彼らにとって近景で、わたしにとっては遠景。

八、家を出て、しばし歩いて、ふと振り返ったときに覚える不安。どうしてなのかは分からないが、わたしはこどものときから、「今来た道」を振り返るのが怖くてたまらない。

光文社 小説宝石
2017年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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