<東北の本棚>長岡城奪還 団結の内実

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<東北の本棚>長岡城奪還 団結の内実

[レビュアー] 河北新報

 会津藩の悲劇を生んだ戊辰戦争は、奥羽越列藩同盟軍側が敗戦に次ぐ敗戦の経過をたどった。その中で長岡藩総督・河井継之助による「長岡城奪還」の成功が、同盟軍の士気を大いに高めたのは知られるところ。作戦を練り上げた「加茂軍議」にスポットを当てた。
 舞台は現在の新潟県のほぼ中央に位置する加茂市。物流の集散地で古くからの木工業の町、長岡市から北西に40キロの距離になる。
 長岡城が新政府軍によって落とされたのは慶応4(1868)年5月19日だった。同盟軍は加茂に集結する。ここは会津藩主・松平容保の実弟が藩主となっていた伊勢・桑名藩の預かり地だった。軍議に出席したのは奥羽の会津、米沢、上山藩、越後の長岡、村上、村松藩、そして桑名藩。
 中心は会津、米沢、長岡の3藩だが、各藩の思惑は一致せず、会津藩は新政府軍と戦った鳥羽・伏見の戦いに敗れ、朝廷に恭順の意を表していた。「戦線の前面には出たくない」のが本音。米沢も軍議の主導はしたくなかったが、「越後は上杉謙信公の故地。義を尊ぶ藩風ではないか」とせき立てられる。「団結して長岡城奪還しよう」と言い放ったのが河井であった。長岡城は奪還したが、後が続かない。戦略がまとまらなかった。河井は左膝に流弾を受けて会津に退却。城は4日間で再び新政府軍の手に落ちた。
 著者は1944年、長岡市生まれ。元市立中央図書館長、現河井継之助記念館長。2018年の戊辰戦争150年を前に加茂商工会議所が歴史を生かした町づくりの一環として出版した。
 新潟日報事業社025(383)8020=1620円。

河北新報
2016年11月20日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河北新報社

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