世界はコンビニ 小林エリカ

レビュー

5
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コンビニ人間

『コンビニ人間』

著者
村田 沙耶香 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163906188
発売日
2016/07/27
価格
1,404円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

世界はコンビニ 小林エリカ

[レビュアー] 小林エリカ

『コンビニ人間』の素晴らしさは、賞の受賞如何にかかわらず不動のものであるが、この極めて先鋭的な作品が高く評価され芥川賞を受賞し、大勢の読者に歓迎され喝采されたことは、私にとってもとても重要なことだった。なぜなら、そんな文学の存在に私はますます深く感動したし、そんな人が多くいる世界になら私は断然まだまだ生きてゆきたいと思えるから。

 村田沙耶香さんは『授乳』のデビュー以来、その小説で、私たちの社会に、生に(性に)、ひたすら根元的な問いを投げかけてきた。

 どうして家族は存在するのか、どうして女だけが子どもを産むのか、どうして男と女は1対1でなくてはならないのか、どうして人を殺してはいけないのか。

 村田さんの問いは、いつだって純粋で切実だ。しかし何にもまして凄いのは、その問いの答えを、自らも一心に探求し、自分自身に、小説に、限りなく誠実な答え――それがたとえ社会の常識(というものがあるとすれば)を大きく逸脱するように見えようとも――を、言葉を、掴み取ってきたことにある。

 村田さんの小説の中では、時に、ぬいぐるみが「コイビト」になり、男女3人が愛し合うことが普通になり、10人産めば1人殺すことが可能になり、セックスは消滅し、男が妊娠する。

 家族という存在、学校での美人・不美人という序列、女や男といった性、時に宗教のようでもある既存の価値観たちは、ことごとく打ち破られ裏切られてゆく。そして、遂に、この『コンビニ人間』の大いなる裏切りは、もはや恐ろしさも不気味さも超えて、痛快ですらある。

 主人公は、恋愛もセックスも結婚もせず、コンビニのバイトを18年続ける36歳。その少女時代、死んだ小鳥を見て、「これ、食べよう」と口にして母を戸惑わせたエピソードが紹介される。焼き鳥は好物なはずなのに、死んだ小鳥は食べるどころか墓まで作り、小鳥の死には涙を流すのに、死んだ小鳥のために花を殺すことは厭わず涙など流しもしない、みんなの「普通」。

「普通」がわからない主人公は、「完璧なマニュアルがあって」「強制的に正常化される」コンビニでバイトをはじめることで、「私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった。」と感じるのだ。

 しかし、そこに、「世界の異物」である白羽が、婚活のためにコンビニバイトに現れたことで、これまで完璧だったはずのコンビニの存在さえ揺さぶられはじめる。

「この世界は、縄文時代と変わってないんですよ。ムラのためにならない人間は削除されていく。狩りをしない男に、子供を産まない女。現代社会だ、個人主義だといいながら、ムラに所属しようとしない人間は、干渉され、無理強いされ、最終的にはムラから追放されるんだ」

 そうして次第に、店員や商品だけが入れ替わりながらもコンビニという存在だけが継続してゆくさまは、縄文時代から人間が生まれて死んで入れ替わりながら続いてきた人類の歴史とオーバーラップしてゆく。

 そこで本を握り締めながら私は、コンビニとは、まさに今、私たちの生きるこの世界そのもののことなのかも! と思い至るのだった。

 私は、昭和から平成にかけて、次第に清潔さを増してゆく街に、育ってきた。

 街は均一化され、死や生(性)は隠蔽され、人々は強制的に正常化されてゆく。そこでは、規範から溢れ落ちるもの、不揃いなものや汚いものや醜いもの、複雑なものは排除される。恋愛、結婚、出産、仕事、すべてを型に嵌めることで、完璧なものとして完成される。だから人々はその型に嵌らないもののことを黙殺する。

 セクシュアリティの苦悩が「わかりやすい形の苦悩」とは限らないことを誰も考えようとしないし、事件が起きれば虐待児で「きっと家に問題があるんだ」と理解できる理由を見つけて安心したい。

 そんなコンビニ化した世界に私たちは――それが好きだろうが嫌いだろうが!――生きているのではなかろうか。

 そんな世界の中で、私たちは、いかに振舞うべきか。白羽のように、逸脱し、型に楯突きながら、毒づくべきか。あるいは主人公の妹や友人たちのように、型に適合するよう弛みない努力をすべきか。

 しかし、わざわざ、自分が嫌っている人たちに「文句を言われないために生き方を選択する」のは「世界を全面的に受容すること」になるし、「自分を苦しめているのと同じ価値観の理屈で」「文句を垂れ流す」のは支離滅裂だということも私たちは知っている。

 そんな絶望的な状況の中で、私にはコンビニ人間こそが、希望に思える。

 コンビニ人間である主人公はコンビニのマニュアルは完璧にこなせるが、皮肉にも、この世界のマニュアルは、みんなの「普通」は、理解できない異端者だ。しかしそれは同時に、このコンビニ化した世界を全面的に受容することを免れ、新たな価値観や複雑さを手に入れることでもあるのかもしれない。

 村田さんの作品は常に、この世界を裏切りながら、その遥か上空で真新しい価値観を提示してみせてくれる。それは、私たちが、戦うのでも、媚びるのでもなく、創造することで、この世界を生きることができるのだ、という手がかりでもある。

 だから、私にとって、この本は、生きのびるためのマニュアルでもある。

「これから人類のことを裏切るかもしれない」「応援してくれている人を裏切るような言葉を探すかもしれない」という芥川賞受賞スピーチをした村田さんであるが、正直、私は、もっともっともっと裏切られたい、どうか裏切ってください、となんだかドMみたいに心の中で叫んでいる。そして、きっと村田さんならこれから私を、私たちを、人類を、いやこの宇宙の理さえ裏切ってくれるような言葉を、小説を、見つけることができるに違いない。

 今、私は、村田さんと同時代を生きていて、一緒に年を取りながら、その作品を、新作を、読むことができるという稀有な幸運を、みすみす手放すわけにはいかない。

新潮社 新潮
2016年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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