『花を呑む』刊行記念 あさのあつこインタビュー

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花を呑む

『花を呑む』

著者
あさのあつこ [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334911416
発売日
2017/01/16
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『花を呑む』刊行記念 あさのあつこインタビュー

[文] 末國善己(文芸評論家)


あさのあつこさん

――『弥勒の月』は、あさのさんの初の時代小説ですが、時代小説にはいつ頃から興味を持たれていたのでしょうか。

あさの 藤沢周平さんが好きで、デビュー前から読んでいました。かなり前から藤沢さんと同じには書けないと思いながらも、藤沢さんのように江戸を生きた人たちを書いてみたいと思っていました。実は『弥勒の月』は、『バッテリー』の三巻目、四巻目あたりと並行して書いていたんです。その頃から、色々な出版社から仕事の話をいただくようになったのですが、「時代小説を書きたいんです。書き進めている作品もあるんです」とお願いしても、『バッテリー』のイメージが強くて、「できたら青春小説を」と言われ断られることが多かったんです。その中で、光文社さんだけが私の時代小説を読んでくれて、出版されることになりました。

――最初の時代小説が、『おいち不思議がたり』や『燦』のような青春小説色が強い作品ではなく、ダークな『弥勒の月』だったので驚きも大きかったです。

あさの 私にとって十代の少年少女は魅力的で創作意欲もわくのですが、その一方で現代ものでは大人の男、大人の女は書きたいという気持ちになりませんでした。でも、なぜか時代小説では、大人の男を書いてみたいと思ったんです。

――木暮信次郎は、世俗のことには興味がなく、ただ奇怪な事件に挑む時にだけ喜びを感じるとされていますが、なぜこのような人物を主人公にしたのでしょうか。

あさの 最初は、遠野屋清之介を主人公にしていました。私の中では、信次郎の存在は大きくなかったのですが、書いているうちに膨らんでいって、今では清之介と対等になっています。

――もう一人の主人公・清之介は重い過去を背負っていて、そこから逃れようとしていますが、あの設定は最初から考えていたのでしょうか。

あさの 私はプロットを立てないので、清之介は過去を引きずっている人間で、昔は武士で、それを捨てなければならない事情があってというところまでは頭にありました。


「自分が書いている人物を掘り下げていけるのも、
シリーズの強みです。」

――信次郎も清之介も空白が多いキャラクターなので、動かすのは大変ではないですか。

あさの よく「キャラクターは勝手に動く」と言われますが、信次郎と清之介は、作者が手におえないほど制御不能になることもあるので大変です。

――信次郎と清之介は強烈な個性を持っていますが、信次郎に仕える岡っ引の伊佐治は、常識人とされていますね。

あさの 伊佐治は最初から意図して生み出した人物ではないんです。信次郎と清之介は、お互いに傷つけ合い、殺し合いにまで発展する可能性もありますから、二人だけだとバランスが悪くなりました。物語を安定させるためにも、真っ当に生きていて、私たちの価値観に沿っている人物を出したいと考え、生まれたのが伊佐治です。ただ書いているうちに、伊佐治にも違う面があることが見えてきました。

――シリーズには魅惑的な謎が出てきますが、ミステリーはお好きだったのですか。

あさの 海外ミステリーはすごく読んでいて、特にエラリー・クイーンは大好きでした。ただ謎解きが好きというよりも、事件にからまって動く人たちの姿、謎が解かれるにつれ浮かび上がってくる人間模様の方に興味がありました。

――作中で、午前を「上午(じようご)」、午後を「下午(かご)」、ガラスを「硝子(しようし)」と表記されるなど、江戸の言葉にもこだわりをお持ちのようですね。

あさの それは気をつけています。私は時代小説の読み手ではなかったですし、知らないことが多いので、例えば「ファイト」にあたる言葉は何だろうとか、一語一語、手探りしながら書いています。

――史料の制約も受けるので、現代ものとは違った難しさもあると思いますが。

あさの 現代ものとは書くスピードが違います。所作一つ取っても、着物を着て歩く、あるいは走るとどうなるのか、重い刀を差して歩くとどうなるのかなど、自分の感覚にないものを表現しなければならないので苦労は多いです。

――シリーズ最新作『花を呑む』では、老舗の東海屋で、鏡台の中から出てきた髪の毛が女中の手にからまったり、女の幽霊が現れたりするなどの怪異が起こります。その直後に発見された主人・五平の死体には、他殺の痕跡はないものの、口の中に大量の牡丹の花が詰め込まれていて、しかも五平に冷たくされていた妾が、牡丹の花の前で自害していたため、五平は怨霊に殺されたとの評判が立つという怪談めいた謎が魅力的でした。

あさの 今回は、まず『花を呑む』というタイトルが浮かびました。私の家にも牡丹が咲いていて、ある日、その花がバサッと落ちたんです。その時に、結構大きな音がして、しかもそれが肉感的だったんです。植物ではなく、動物が息絶えたような感覚が伝わってきて、その時のことを思い出して、牡丹と死を結び付けるところから物語を始めました。

――毎回、シリーズキャラクターの人生を掘り下げていますが、今回は伊佐治と、義理の娘・おけいが中心になっていました。

あさの 自分が書いている人物を掘り下げていけるのも、シリーズの強みです。信次郎については、前作『地に巣くう』で書いたのですが、意外と伊佐治には触れていないことに気付きました。伊佐治は親分としての面しか書いていなかったので、今回は、伊佐治がどのような場所で、どのような人たちと生きているかを書きました。もう一人、おけいという伊佐治の息子のお嫁さんが出てきますが、彼女は、人とのぶつかり合いとかすれ違いとかいった、私たちが普段暮らしていると感じる葛藤の中で生きています。作中の牡丹が象徴しているのは、女の息苦しさや濃厚な色香、殺意といった重いものですから、おけいはそれと対比する人物として描きました。


「この作品には、私自身が何を思って生きてきたか
もよく出ていると思います。」

――確かに、五平の後妻お栄は、苦労を重ねた末に五平と結ばれ安定した生活を手にしたので、その生活を守ろうとしていますし、おけいは、流産を二度経験したことで自分を責めているなど、今回は、女性の人生をクローズアップしているように感じました。

あさの 私は現代と繋がった小説しか書けませんし、「弥勒」シリーズは男を書いていますが、男を書くためには、女を書かなければなりません。私は今を生きる女性が投影されなければ、物語は命をもたないと考えているので、この作品には、私自身が何を思って生きてきたかもよく出ていると思います。

――女性が、男の想像の外に出ようとすると、「恥しらず」「分別がない」などと非難されるという一文がありますが、これには現代の女性も共感できると思いました。

あさの 実際に江戸の女性が何を考えて生きていたかは分かりませんが、私が感じている生きづらさ、現代の女性が抱えている生きづらさは表現したつもりです。

――清之介は、女性を飾る化粧や小間物は、武器や防具になると考えています。今回は女性が関係する事件が描かれることもあって、商売を通して、社会の荒波と戦おうとしている女性をサポートするという清之介の役割がクリアになったようにも思えるのですが。

あさの 面白い指摘ですが、まだ私は清之介のことがよく掴めていないんです(笑)。信次郎が信じている道は、この先、ズレるかも途切れるかもしれませんが、今の立ち位置は私も納得しています。ただ清之介はこれからどうなるか、まったく見えていないんです。

――後半になると、清之介が確執のある兄と向き合うことになりますね。

あさの 最初は、清之介の兄のエピソードは出すつもりはなかったのですが、兄弟の確執とか繋がりとかは、まだ十分に出していなかったので書いてみました。これで書ききったとは思っていませんので、清之介と兄の関係は、今後もシリーズの大きなうねりの一つにはなっていくと考えています。

――冒頭に怪談めいた事件が描かれるだけに、解決の鮮やかさが際立っていました。

あさの 結末をまったく考えずに書いているので、そう言っていただけると嬉しいです。書いているうちに、まったく違う物語になっていることもあるんです。


「人と人とのからまりを描くのは好きなので、
『バッテリー』などと同じところはあると思います。」

――シリーズが進むにつれて、信次郎が変わっているように思えます。信次郎は、傷ついたおけいを突き放しますが、その中には、自分で立ち上がって欲しいというやさしさも垣間見え、温かい言葉をかける、手を差し伸べるのだけが人情ではないというメッセージが明確に打ち出されているように思えました。

あさの 信次郎は変わっていますか! 自分では全然気付かなかったです。たぶん信次郎は、幸せは人が与えてくれるものではなく、自分で切り開くものであることを知っています。信次郎は単に頭がいいだけでなく、人とは違う視点に立って、幸福とか不幸とか死を見ているので、不可解な事件の真相が見えてくるのだと思います。

――清之介も少しずつ変わっているので、成長物語の要素もありますね。

あさの 信次郎と清之介がからまる中で、変わっていく要素とか、研ぎ澄まされていく要素とかは、書いていて面白いです。ただそれは、成長というよりも変化ですね。

――登場人物が変わっていく展開は、児童文学とも共通していますね。

あさの 人と人とのからまりを描くのは好きなので、『バッテリー』などと同じところはあると思います。

――本書には、非常に狡猾な犯罪者が登場します。その人物は、ホームズ・シリーズにおけるモリアーティ教授のように、信次郎たちの宿敵になっていくのでしょうか。

あさの あの人物は、信次郎の性格を際立たせるために出した脇役でしたが、書いていくうちに、脇役では収まり切らない、露骨に言えば「使えるな」と思うほど大きくなっていったのは確かです。まだ分からないところも多く、次回以降に登場するかも未定ですが、天才的な犯罪者なのは間違いないので、私にとっても面白い人物になりました。

――シリーズの結末は考えているのでしょうか。

あさの ラストがぼんやりと見えているくらいです。だから、どこで終わってもいいと思っています。

――今後の展開を教えてください。

あさの まったく考えていないんです。強いていえば、清之介と兄の関係だったり、女性たちの姿であったり、まだ書き切れていない部分を書いていきたいです。これらは私自身が分からないのでワクワクしているところもあります。清之介にしても、信次郎にしても何を考えているか分からないので、大変ですけどまた会いたいと思わせる人なんです。大変ですが、書けば会えるので、それがある限り書いていくつもりです。

光文社 小説宝石
2017年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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