阿川佐和子×遠藤龍之介×斎藤由香×矢代朝子 座談会〈前篇〉/文士の子ども被害者の会

対談・鼎談

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「町田市民文学館ことばらんど」開館10周年記念座談会〈前篇〉 阿川佐和子×遠藤龍之介×斎藤由香×矢代朝子/文士の子ども被害者の会

■金貨でじゃらじゃら遊ぶ

阿川 遠藤さんは母校の慶應がお好きでしたよね。「三田文学」の編集長もなさったから、そっち関係のお知合いも多かったし、龍之介さんも幼稚舎から慶應に通って生粋の慶應ボーイでした。片や阿川家は、子どもはみんな区立小学校で当り前だったんですが、弟がちょうど小学校へ上がる時に引越しをしたら、そこが新興住宅地すぎて、まだ小学校がなかったんですね。たまたま慶應の幼稚舎を受けたら入っちゃって、それから兄も慶應高校に受かって、私も大学から慶應に入って、だんだん慶應人口が増えていったんです。そしたら遠藤さんが大変喜んで下さって、うちへいらして、「阿川、よかったなあ。おまえの家もやっとハイソサエテーの仲間入りや」(会場笑)。

遠藤 その話、父から聞きました。大学生になられた佐和子さんと久しぶりにお会いして、父が「しばらく見んうちにきれいになったなあ。三日見ぬ間の桜やな」と言ったら、阿川先生から「遠藤、その表現は間違っている。それはよかったものがたちまち悪くなった時に使うんだ」と怒られて、へこんで帰ってきました。

阿川 別の時かな、遠藤さんが私を褒めて下さるおつもりで「トンビがナスを産んだなあ」と仰ったら、父が「そんな言葉はない」、母が「どうせ、私はトンビですよ」(会場笑)。でも、母は遠藤さんに優しくして頂いて、ずっと感謝しております。母が腰を患った時、父は「おまえ、大丈夫か」とは言いながら、すぐ「メシの支度はまだか。ツマミはもっとないのか」。そんな母に遠藤さんはたびたび電話を下さって、「奥さん、腰痛いやろなあ。あれは血ィが出ないから、みんなに同情されにくいやろけど、つらいやろなあ」と何べんも仰ってくれて、母は涙が流れるほど嬉しかったと。で、「ああ、遠藤さんの妻だったらよかった」(会場笑)。

斎藤 佐和子さんがかわいいのは小さい頃から有名で、父は何かの時、「佐和子ちゃんはこんなにきれいなんだから、将来はデブになる」とか、変な魔法をかけたんですよね。


写真②

阿川 それ、美談にし過ぎてます。それこそ夏の軽井沢に文士の方々、遠藤さんも矢代さんも北さんも滞在して、遊んでるのか執筆してるのかって生活をなさっている頃、父も真似たいと思ったらしくて、私が小学一年ぐらいの時、初めて軽井沢で長期滞在用の別荘を借りたんです。
 そこへ北さんとか、まだ中央公論社にいらした宮脇俊三さんとかが遊びにいらして、お酒飲んだりお食事を召し上がったりするのを私は母にくっついて見てたんですよ。そしたら、遠くの椅子に座った北杜夫さんという方らしいおじさまが、「僕はナントカなのですがァ、でもカントカでもありましてェ」みたいにスローモーな喋り方をなさってて、子どもの耳にとても不思議に聞こえたんですね。
 うちの父は広島に帰ると広島弁になり、志賀家へ行くと急に学習院言葉になり、祖母が京都ですから、関西の人相手だと関西弁になったりして、そんなイントネーションの違いを当時の私はすごく面白がっていたんです。それで、この奇妙な喋り方をするおじさんは一体どこの人だろうと思って、「あの人、何弁?」って母に訊くと、それが北さんにも聞こえたらしくて、「何? ずいぶん失礼な子だ。大人に向かって『この人は何弁?』とは何だ。よし、仕返しに呪いをかけてやる。この子は大きくなったら、デブデブのデブになるぞ」(会場笑)。この光景ははっきり覚えています。怖くはなかったけど、私は呪いをかけられたんだと思っていたら、中学、高校と成長するにつれて本当にブクブク太り始めて、「ああっ、北さんの呪いのせいだ」とずっと泣いていました。かわいかったからじゃないの、私が無作法だった仕返しなんです。
 でも私、ブクブクの高校の時かな、父と北家に伺ったら、ニコニコしたかわいい女の子が出てきて、「パパ、パパ、阿川先生が見えたわよ。ちょっとパパ!」って北さんを呼んでくれた。それが由香ちゃんとの初対面だったと思うけど、何より私は「こんなに父と娘の仲がいい小説家の家があるのか!」と衝撃を受けました。あ、これが北家の写真ね(写真②)。

斎藤 これは軽井沢の小さな山荘です。先ほどお話したように父は信州の山々に魅せられて、自然や昆虫も好きですし、戦時中に立ち寄った軽井沢の憧れもあって、将来は軽井沢で暮らしてみたいという夢をずっと持っていて、ようやく山荘を持てたんですね。
 ある日、この家に遠藤先生がいらしたのを覚えていますが、やっと父が買ったこの家を見るなり、大声で、「北君の家はこんなちっぽけな家なのか、情けないなあ」と仰って、「うちは何千坪もある広大な別荘だ。うちへいらっしゃい。うなるほど金貨があるから、龍之介はそれでじゃらじゃら遊んでおる」。で、母と父が伺ったら、遠藤先生の別荘は確かに広大で、玄関に「うちの前でおしっこをさせるな」という看板が立っていて、中に入ると龍之介さんが本当に金貨で遊んでいるのです。

遠藤 金貨チョコレートです、あれ(会場笑)。客が来ると、父がどこからともなく金貨のチョコレートを何十枚も持ってきて、「おまえ、これで遊んでろ」。私は言われるまま(会場笑)。

阿川 うちも軽井沢の山の外れにちっちゃい小屋を作ったものだから、気の毒に遠藤さんがうちの前の坂を上がって上がって、やっと着いて、「阿川、これはおまえ、別荘とは言えんのやないか? これ、山越えたら群馬県やろ」。群馬の方には失礼なんですけど、本当に山を越えたら群馬県なんです。「これはもうターザンの家や、おまえはターザンや! 恥ずかしゅうないんか」って(会場笑)。

矢代 遠藤先生は別荘のネーミングがうまくて、うちも最初は貸別荘からスタートして、やがて家を作ったんですけど、たまたま照明の笠が大きかったんですよ。そしたら遠藤先生が「矢代んちはヤマギワ電気か!」。確かにそんな感じもするので、父はシュンとしてました。でも、軽井沢で遠藤先生にお会いするのを、遠足の前の小学生みたいにワクワクしながら待ってたんですよ。北さんに電話して、「遠藤はいつ来るのかな」なんて言っていたのを覚えています。

斎藤 軽井沢から父が東京へ帰る時の話ですが、冷蔵庫にキュウリが三本残ったんですね。保冷剤がない時代なので、父はもったいないと思って、遠藤先生のおうちに「キュウリ三本残ったので」と持っていった。たまたま同じ時期に、ある作家さんが文学賞を受賞されて、父がお祝いに白ワインをお贈りしたんですよ。そしたら、その方が「北さんから白ワインが届いた」と雑誌に書いたのを遠藤先生が読んで、「うちの別荘であれだけ飲み食いして、ウイスキーを飲ませ、ブランデーを飲ませてやったのに、北は余り物のしなびたキュウリ三本しか持ってこない。ほかの作家には白ワインを贈っておきながら、なんでうちにキュウリ三本なんだ」とエッセイに書かれたんです(会場笑)。おかげで、読者の方から「今まで北さんの本を読んできましたけど、こんなにケチな人だとは思いませんでした。二度と読みません」って抗議の手紙がたくさん来ました。

遠藤 ちょっとしたことで因縁つけるのが本当にうまい人でしたよねえ(会場笑)。

 (次号完結)

 開催・町田市民文学館ことばらんど

阿川佐和子×遠藤龍之介×斎藤由香×矢代朝子 座談会〈後篇〉/文士の子ども被害者の会

新潮社 波
2017年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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