『ギリシア人の物語Ⅱ 民主政の成熟と崩壊』
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待鳥聡史 制度と個人の間にあるもの/塩野七生『ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊』
[レビュアー] 待鳥聡史(京都大学教授)
政治のあり方を決定づける要因は、制度か個人か。この問いかけへの答えはいつも難しいが、古代ギリシアの場合にはどうだったのだろうか。
二度にわたるペルシア戦役で勝利を収め、ギリシア諸都市が繁栄の時代を迎えるところから、本書の叙述は始まる。その中心はアテネである。テミストクレスの構想により、外港ピレウスとの一体化、さらにエーゲ海諸都市とのデロス同盟創設を通じて、アテネはスパルタなどのライヴァル都市に大きな差をつけはじめた。
それを引き継いだのがペリクレスであった。彼はデロス同盟結成の一五年後、紀元前四六二年にアテネの内閣に当たるストラテゴスに初めて選出され、三〇年以上にわたってトップリーダーであり続けた。時間的にも空間的にも広い視野から物事を考えられる彼の政治指導の下で、アテネは空前の平和と安定を謳歌する。
しかし、一人の政治指導者の能力が高いだけでは、政治は安定しない。アテネは民主政だから、ストラテゴスは毎年改選される。ペリクレスも例外ではない。彼は市民を言葉で誘導することにより、その地位を維持して政策を展開したのだ、と著者は指摘する。
言葉による誘導が成り立つには、誘導される市民の側にも、それを受け入れる柔軟性や理解力が必要となる。ペリクレスがツキディデスのいう「形は民主政体だが、実際はただ一人が支配した時代」を長く担えたのは、現状に自信があった時代のアテネ市民が、彼の言葉に安んじて多くを委ねたためであった。この点を評者なりに敷衍すれば、この時期のアテネでは、指導者と市民の間で課題や民主政のあり方についての価値観が共有されていたのである。こうしたとき、民主政は大きな力を発揮できる。
同じことは対外関係にもいえた。アテネの宿敵であったスパルタではアルキダモス、ペルシアではアルタ・クセルクセスが、ペリクレスとほぼ同時期のトップリーダーであった。著者は彼らを「良識」の持ち主と評する。責任ある政治指導者の良識的な自己謙抑もまた、アテネのみならずギリシア全体の安定に大きく貢献した。
ところが、優れた政治指導者と、それを支える市民の委任やライヴァルたちの良識がもたらした平和と繁栄は、意外なまでに脆かった。スパルタとのペロポネソス戦争は泥沼化し、蔓延する疫病によってペリクレス自身が没すると、扇動政治家たちが急速に支持を集める。デロス同盟の弱体化はペルシアに再びギリシアへの領土的関心を呼び起こさせた。
ニキアスやアルキビアデスに率いられたアテネの弱体化は、まさに坂道を転がり落ちるような没落であった。この責を政治指導者の無能さに求めることはたやすい。だが著者は、彼らを支持したのがやはりアテネ市民であったことも忘れてはいない。ペリクレス没後のアテネは、社会経済的および軍事的な衰退につれて、中長期的展望を語って誘導する指導者に市民が多くを委ねられなくなっていた。民主政には次第に短慮が目立つようになる。
古代ギリシアの経験は近代に入って再発見されるが、そこで当初追求されたのは、良識的な政治指導者と短慮に走らない市民であった。だがそれは、とりわけ民主政が人口や面積において大きな国家に導入されるときには確保困難であった。
一八世紀後半以降のアメリカにおいて権力分立論と民主政の組み合わせが試みられ、この問題は制度によって一応の解決を見た。良識のない政治家や、目先のことに囚われる平凡な市民から成る社会であっても、権力が暴走しないようになったためである。近代民主政の広がりにとって、制度的フォーマットの確立が持つ意味は決定的であった。
しかし、制度にも個人にも還元できない要素が、現在なお民主政のあり方に潜在的に大きな影響を与えていることも間違いない。民主政は不可避的に多数の人々が政治に関与する体制である以上、その作動について考える際には、政治指導者と市民の持つ価値観、すなわち「民主政の精神」が持つ意味を無視することはできないのである。
リズムに富んだ著者の文体と、そこに活き活きと描き出される古代の人々の言葉や行動から、民主政の精神について思いをめぐらすことは、今日だからこそ大きな意味がある。