現役大学教授の著者が放つ、ノンストップ・サスペンス――日常が侵蝕される恐怖を、あなたに

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イアリー 見えない顔

『イアリー 見えない顔』

著者
前川裕 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041046180
発売日
2016/11/26
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

前川ノワールの新たな局面

[レビュアー] 香山二三郎(コラムニスト)

 タイトルのイアリー(EERⅠE)という言葉は初見だったので辞書を引いてみたら「薄気味悪い、不気味な、ぞっとするような」とあった。

 前川裕の読者なら、即クリーピー(CREEPY)と同じような意味合いであることに気付かれよう。こちらは「ぞくぞくする、身の毛のよだつような」という意味で、第一五回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した、著者の出世作のタイトルでもある。

 その長篇『クリーピー』は犯罪心理学者である大学教授が隣家の父娘のありさまに不審を覚えたのをきっかけに次々と災難に見舞われるサイコサスペンス系のクライムノベルであった。

 どこにでもありそうな住宅街の家庭でも、その内部は千差万別、実は犯罪の温床になっていることだって珍しくはない。日常的な風景が次第に揺らぎ始める恐怖は衝撃的というより、じわじわと侵食してくるタイプのもの。『クリーピー』はまさにそうしたドメスティックな恐怖をとらえたノワールでもあったが、本書もタイトル通り、日常世界が薄気味悪い何かに侵されていく話だ。

 主人公の広川は妻を難病で失ったばかりの大学教授で、物語は独り身になった彼の家にヤダと名乗る女性が妻を訪ねてくる場面から始まる。彼が妻は亡くなったとインターホンごしに答えると、玄関のドアを開けたときには女は姿を消していた。翌日仕事帰りに近所に八多という家を発見した彼はそこを訪ねてみるが、出てきた女は心当たりがないという。

 三週間後、その八多家で当主の眞一が首吊り自殺をする事件発生。しかも細君は三年前に亡くなっており、眞一は独り住まいだった。では、三週間前広川の相手をした女は誰だったのか。

 のっけから怪談じみた出来事が起きるが、異変はさらに続く。向かいの篠田家の妻が過呼吸で病院にかつぎ込まれたのだ。さらに数ヶ月後、今度は八多家の前のゴミ集積場で男の死体が発見される。死因は不明。広川は妻の死から始まる一連の暗い出来事をつなぐ見えない糸は、突然家を訪ねてきたヤダという女にあると思うのだが……。

 こう書いていくと、いかにも『クリーピー』と同じような展開のように思われるかもしれないがそうではない。広川は自宅周辺の出来事に惑わされるだけでなく、勤め先の私立大学・恒星学院の総長選挙にも関わり、翻弄される羽目になる。広川自身はニュートラルな人間だったが、同僚の石田隆二が策士で、何かというと協力させられる。加えて、同じ大学に勤める義妹の水島麗も積極的に参加するようになり、ふたりの関係は急接近する……。

 ご存じのように、著者自身、私立大学で長年教鞭を執ってきた身であり、学内選挙の裏表は熟知しているはず。本書にはそこで見聞したことが盛り込まれているに違いなく、その点でもすこぶる興味深い。実際総長候補の選出に当たっては二転三転するのみならず、犯罪事件まで起きてしまうのだ!

 本書のポイントとしてはさらにもう一点、六道菜々美という情緒不安定な娘が悪質なマルチ商法に引っかかりそうになるエピソードも織り込まれている。それが後半どう主筋に絡んでくるかは、そして広川の身辺の異変と学内選挙の話と、六道菜々美のエピソードがどんなふうにまとめられていくのかまったく先が読めず、読者もまた著者の詐術に翻弄されていくのである。

 表題通りクリーピーに染まった出世作に比べても、そのテクニックはさらに手が込んでいて、ミステリーとしても着実に進化しているといって過言ではない。考えてみれば、著者が作家として本格的にデビューして早五年目に突入しようとしている。著書も本書で九冊目となり、そろそろ次の段階を目指しても不思議ではないだろう。

 人の心の闇をクリーピーかつイアリーな独自演出でえぐり出すスタイルもだいぶ熟成されてきたが、本書の後半に明かされる驚愕の真相からは、その新たな前川裕の可能性もうかがえるのではないかと思うのだ。それは何か、エピローグまでじっくり堪能されたい。

KADOKAWA 本の旅人
2016年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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