宮部みゆき×ファンタジー界の重鎮・佐竹美保の二人が織りなす圧倒的スケール感――現実と虚構の狭間の美しき絵本

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ヨーレのクマー

『ヨーレのクマー』

著者
宮部 みゆき [著]/佐竹 美保 [イラスト]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041040614
発売日
2016/11/21
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

現実と虚構の狭間の美しき絵本

[レビュアー] 東雅夫(アンソロジスト・文芸評論家)

 ああ、この物語の世界に、いつまでも浸ったままでいたい……。

 読み終えた瞬間、充足感とはうらはらに、そんな切ない願望がこみあげてくるような本と出逢えることは、読書家のこよなき歓びだろう。

 宮部みゆきが、みずから「合わせ鏡のような作品」であると語った『英雄の書』(二〇〇九)と『悲嘆の門』(二〇一五)の異界ファンタジー双幅対も、まさしく、そのような感興をもたらす作品であった。

 小説のみならずゲームや漫画の世界でもおなじみのクトゥルー神話──米国ホラーの巨星ラヴクラフトによって創始された架空の恐怖神話大系の世界観にもとづきながら、そこに登場する「魔道書」や「呪言」などの妖しきアイテムを巧みに自家薬籠中のものとして、現代日本の読者の琴線をさまざまに揺るがす趣向とストーリーを紡ぎあげてゆく語り部としての手腕に、ほとほと感心させられたものだ。

 とりわけ『悲嘆の門』の中盤における大展開には仰天した。刊行直後に新聞に寄せた拙文から引用する。

「ここを境に本書は、ホラーとサスペンスとファンタジーが、刑事小説と青春小説と怪物小説が、めくるめく交錯してやまない古今独歩の境地に突入する。そこでは現代日本のネット社会の闇が、深遠な異界の闇へと直結してゆくのだ」

 さて、そんな『悲嘆の門』には、作者オリジナルのたいそう魅力的なアイテムが、さりげなく仕掛けられていた。主人公の大学生がアルバイトで雇われるサイバー・パトロール(ネット犯罪を監視する会社)の社名「クマー」の由来となった、ノルウェーの絵本『ヨーレのクマー』である。

 てっきり実在の本かと思い、書店で問い合わせたりネット検索した早合点の読者も少なくなかったと聞くが、私自身は「宮部みゆき」「絵本」「クマー(熊)」の取り合わせに、無気味なクマのぬいぐるみが登場する作者の傑作絵本『悪い本』(二〇一一)を連想して、にやにやゾクゾクを禁じえなかった。現実と虚構の間に見え隠れする、あるのかないのか分からない書物というのは、名高い魔道書『ネクロノミコン』をはじめとして、クトゥルー神話の定石でもあるのだから。

 そして、今ここに、われわれは『ヨーレのクマー』の現物を、手にすることになったのである。ただし作者はノルウェー人でも魔界の住人でもなく、文・宮部みゆき、絵・佐竹美保のコンビだ。

 舞台はノルウェー特有の地形であるフィヨルド(峡江)を見下ろす山と、水辺の町ヨーレ。深い森を背景に、鐘楼のある教会と広場を中心に広がる北欧の町の光景はたいそう魅力的で、清冽な物語の世界へ一気に誘われてしまう。森の動植物の稠密な描写や彩りも、細部にまで目を遊ばせる愉しみにあふれている。多くのファンタジー作品の装画や挿絵を手がけてきた佐竹の異界の描き手としての本領が、遺憾なく発揮されているといえよう。

 山に棲むクマーは透明怪獣で、夜ごと町へ侵入しようとする悪い怪獣と闘っては追い払い、人知れず町を護っていた。しかしあるとき、魔力の源泉である角を敵に折られ、姿が見えるようになってしまう。

 クマーの姿を目にした町の人々は恐れおののき、怪獣を退治しようと集団で武器を取り、追いかけまわす。ようやく追っ手を振りきり、フィヨルドの水面に映る自分の姿を初めて目にしたクマーは……。

 善なるヒーローと悪の化身が表裏一体であるという残酷な実相。アウトサイダーの孤愁。「本当のことは、誰にも知られないままです」という突き放すような結語──人の心のありようを容赦なく描き出す宮部みゆきならではの、美しく哀しく恐ろしい、けれど、いつまでも浸っていたくなる……これは、そんな絵本である。

 ◇児童書

KADOKAWA 本の旅人
2016年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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