『平安京はいらなかった』 桃崎有一郎著

レビュー

5
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平安京はいらなかった

『平安京はいらなかった』

著者
桃崎 有一郎 [著]
出版社
吉川弘文館
ジャンル
歴史・地理/歴史総記
ISBN
9784642058384
発売日
2016/11/21
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『平安京はいらなかった』 桃崎有一郎著

[レビュアー] 出口治明(ライフネット生命保険会長)

背伸びで生まれた都

 冒頭、著者は<日本という国に、あのような平安京などいらなかった>と喝破する。<平安京は最初から無用の長物であり、その欠点は時とともに目立つばかりであった>と。<では、なぜ不要な平安京が造られ、なぜ一〇〇〇年以上も存続したのか>と著者は畳み掛ける。そう挑発されたら、後はもう読むしかないではないか。とても刺激的な1冊だった。

 日本は、大唐世界帝国の脅威に直面して立国した国である。白村江の戦いに敗れた倭は、明治期の鹿鳴館政策さながら、国を挙げて背伸びをした。唐と同じ胡服(こふく)に身を包み、律令国家を目指していく。日本という国号、天皇という称号、日本書紀という国書、全てが唐に対峙(たいじ)する目的で整備されたといわれている。藤原京以降の都もその例外ではない。平安京は日本の天皇の威信を物体化させたものであり、いわば威信財だった。例えば、朱雀大路は外国使節の来朝や大嘗会(だいじょうえ)に備えた舞台だったのだ(皮肉にも渤海使以外は来なかったが)。

 威信財であれば、実用性は当然二の次となる。藤原京、平城京、平安京はほぼ同サイズで、唐の長安城の約28%の大きさ。当時の唐と日本の国力を比較すると、平安京は長安城の1割程度の面積で十分であった。長安の人口100万人に対して平安京の人口は10~12万程度であったと著者は推計する。長安城と名づけられた右京は早くから衰退し、洛陽城と名づけられた左京が発展していく。平安京が「洛中」へと収束していく過程で中世から近世の京都が生まれたのだ。

 本書は、時の流れに沿って平安京の変遷を綴(つづ)っていく。中央集権化や、天皇の政務の縮小を経て、摂関政治は平安京を都合の良いように再利用した。それを著者は「平安京のオートファジー(自食)」と名付ける。そして、院政時代の記念碑・法勝寺九重塔、平家の開発、史上最高の足利義満の七重塔、聚楽第へと京都は脱皮していく。京都にまた行きたくなった。

 ◇ももさき・ゆういちろう=1978年、東京都生まれ。高千穂大学教授。著書に『中世京都の空間構造と礼節体系』。

 吉川弘文館 1800円

読売新聞
2017年1月22日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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